その後、モーセとアロンはパロのところに行き、そして言った。「イスラエルの神、主がこう仰せられます。『わたしの民を行かせ、荒野でわたしのために祭りをさせよ。』」
パロは答えた。「主とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのは。私は主を知らない。イスラエルを行かせはしない。」
すると彼らは言った。「ヘブル人の神が私たちにお会いくださったのです。どうか今、私たちに荒野へ三日の道のりの旅をさせ、私たちの神、主にいけにえをささげさせてください。でないと、主は疫病か剣で、私たちを打たれるからです。」
エジプトの王は彼らに言った。「モーセとアロン。おまえたちは、なぜ民に仕事をやめさせようとするのか。おまえたちの苦役に戻れ。」
パロはまた言った。「見よ。今や彼らはこの地の人々よりも多くなっている。そしておまえたちは彼らの苦役を休ませようとしているのだ。」
その日、パロはこの民を使う監督と人夫がしらに命じて言った。
「おまえたちはれんがを作るわらを、これまでのようにこの民に与えてはならない。自分でわらを集めに行かせよ。
そしてこれまで作っていた量のれんがを作らせるのだ。それを減らしてはならない。彼らはなまけ者だ。だから、『私たちの神に、いけにえをささげに行かせてください』と言って叫んでいるのだ。
あの者たちの労役を重くし、その仕事をさせなければならない。偽りのことばにかかわりを持たせてはいけない。」出エジプト5:1-9
毎日、忙しくないですか?
私はしないといけない事が、日に日に溜まっていっています💦
最近、私は感じる事があります。
今、自分が置かれた環境についてです。
置かれた環境が大きく2つあります。
病院と子どもが通っている学校です。
パートで病院へ行き、今まで出会わなかった人たちに出会います。
私が配属された病棟は、入院して元気になって退院するより、
どちらかと言えば死期が近い人が多いのです。
仕事に行く度に、色々と考えさせられます。
「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい」という御言葉があります。
何となく…本当にそうだな…と思います。
もちろん、人の死に向き合う、立ち会うという事は,
気持ちが良いものではありません。
しかし、人間の生について、人生について、主について、
色々と考えさせられる事が多いのです。
死期が近づいていても、自分の肩書に頼ろうとする人。
ずっと自分の人生について文句を言う人。
もう一人で起き上がる事さえ出来ない状態であっても
「大事な取引先との会議があるからワシがいないと…」と言われる方。(もうかなりの高齢で随分前にリタイアされています)
人間は生きていたように死んでいくという言葉があります。
病院でみる姿が、その人の生き方、人生を見ている様に感じます。
本当に多くの人が不満や怒り、悲しみを持っています。
…という事は、自分の人生に満足できなかったのではないかと思うのです。
主を知らないで生きて来た人生。
病院にいると、多くの人の魂は、
飢え渇き、心の傷、失望、孤独を抱え
生きて来たんだな…と感じます。
神さまはこの世をどの様に見ておられるんだろう。
主は一人ひとりを愛しておられるのに、
私たちは主の存在に気付かず、
1人孤独と戦って生きている…
傷付いた過去は変わりません。
過去は変わらず無くならないのです。
しかし、キリストにあって…
過去に起きた出来事の意味は…
変える事が出来るのです!
過去の意味を変える事が出来るのに…
傷付いたまま、この世を去る姿…
そんな私たち人間の姿を見ながら、
主は心を痛められているのでは…と感じます。
まただからこそ、イエスさまは地上での生涯、
懸命に働かれたんだな…と思います。
適度に忙しいと色々な事を考えながら感じながら、過ごせるのですが、
何も考えられない位忙しい時も多いのです💦
また、もう1つの環境は、学校です。
学校は、こんなにも堂々と不正を行える人たちが世の中にいるんだ…
自分の私利私欲の為に、罵声を浴びても力ずくで
自分を利益を手にしようとする人がいるんだ…
それであって、自分が正しいことをしているかのように存在している…
まるで、聖書に出てくるパリサイ人や律法学者たちみたい…。
最近、自分が置かれた環境が、聖書に出てくる世界のように感じています。
今、私はこの環境から何を学び、
どの様に存在するべきなんだろう…と考えながらも…
日々の生活は、この方々に対処するのに、大忙しです。
書類づくり、書類まとめ、沢山の機関や卒業生たち、創立に関連された人たちに
協力を仰ぐメール…
目まぐるしく忙しくあっという間に終わる1日。
ふと思ったのです。
罠かも…
モーセがエジプトの王であるファラオに、
イスラエルの民の解放を求めた時…
ファラオはますますイスラエルの民に対する労働の負担を増やしました。
エジプトの王は幾度となくイスラエルの民に苦役を増やしていました。
ファラオにとっては「イスラエルの民が余計な事を考えている」からです。
そんな事を考えれないぐらい、仕事を増やしたのです。
私たちが住む世界には、便利なものが沢山あります。
文明が発達し、便利に短時間で解決出来るものが溢れているのです。
しかし、私たちの生活は忙しくなっているのです。
忙しくなる…というのは、考える時間が無くなるという事です。
忙しさを与え、
主に対して祈る時間、聖書を読む時間を奪うのです。
信仰や使命を求める事、賜物を求める事、奉仕する事、伝道する事…
すべて忘れさせる事が出来るのです。
忙しい時こそ…
祈らないと! 祈る時間を持たないと!
イエスさまも朝から夜まで、癒しやメッセージに忙しくされていました。
癒しを求めて朝早くから人が集まって来ていたのです。
そんな時、イエスさまは決まって一人祈る時間を持たれていました。
忙しい時…
まずしないといけないのは「しっかりゆっくり祈る」事です。
忙しさに飲まれたら、主から離れてしまうのです。
まず、置かれた環境で自分が何をするべきか、祈っていこう!
主が何を見させてくれるのか期待しながら。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)