ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」ルカ19:8-10
新学期が始まりました。
次男が通っている学校…
新しく来られた理事長により「学校改革」が始まり1年が経ちました。
この一年、本当に色々な事があり、
新学期になって分かった事は、
この改革を理由に、学校の主だった先生方が何人も退職されていたのです…
その上、学校で起きたいじめ問題に対する学校の対応が問題視され、
ニュースで放映されました。(学校名はでてない)
今は「次は何が起こるの?」といった状況の学校に、
多くの保護者は、静かに自分の子どもの卒業を待っている状態です。
ただでさえ「PTA役員」というのは
嫌がられるもの…(笑)
誰もが一層、PTA活動に参加する事を敬遠しているのです。
こんな良くない時期に、
私は今年度の大役を受けてしまったのです。
もちろん、本音はそんな大役はしたい訳はなく…
私は、そんな大役を全う出来る器ではないのです。
ただ、前任者の言葉と行動に、私の心が動いたのです。
前任者のお願いでなければ、私は引き受けていないと思います。
人は…
「誰がお願いするかによって、聞く人の反応は違う」のです。
「この人がこんなにお願いするから…」
「こんなに困っているなら、自分も一緒に!」といったように、
多くの人の誘いの声は、届かない事はあっても、
ある人の声は、相手の心を響かせ、動かせる事があるのです。
私は、前任者に自分の心を動かされ、
そんな自分自身を見ながら、
…どうして私の心は動いたのだろう?
私が前任者に心動かされた理由は、
前任者の判断力、話、行動、配慮…、
何よりも、前任者と私の関係性がしっかりあったのです。
前任者がどういった人なのかという事を分かっていたからです。
これは互いが、相手を知ろうと時間を費やし関係を持った結果です。
私はどうだろう…
…主が言われる事に、私の心は響きを感じているだろうか。
…主の言葉に感動し、私の心は動かされているだろうか。
主が「大丈夫だ」という言葉に、どれ程、本気で安心感を得ているだろう…
私は主と、どれ程、時間を共に過ごし、良好な関係を持とうとしただろう…
主を経験すればするほど、もっともっと主を近くに感じるはず。
「人間関係」は、互いの努力が必要。
一方的に親切にしても成り立たない。
主と私たちの関係も同じ。
主との関係を良好にするもしないも、
私たちに掛かっているのです。
今日の御言葉は、ザアカイの話です。
ザアカイは、どの様に生きて行けば良いのか分からなかったのです。
友達もいなく、誰にも相談は愚か、人々に嫌われていたのです。
そんなザアカイは、主と関係を持つ事により、
ザアカイの心は動かされたのです。
自分の財産の半分を貧しい人に。
自分が騙し取った物は、4倍に。
これは簡単な決断ではないです。
ザアカイの心が響き、主によって動かされたのです。
だからザアカイは自分の歩む道を悟ったのです。
主は「失われた人を捜して救うために来た」と言われています。
どうして良いのか分からない、
歩むべき道を見失た人、
どの様に生きて行けばいいのか分からない人、
迷える子羊を探して居られるのです。
私は…
「主がそう言われるなら…大丈夫!!」と確信できる関係を持ちたい…
迷いもなく、素直に「そうなんだ!」と思える関係を持ちたい…
主ととの時間を持って、主と私の関係を築き上げて行こう…!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)