主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
Ⅱコリント12:9
先週末、仕事で病院に行った時、
凄く小柄な年配の女性が入院されていました。
幻覚症状があるようで、何かが見えたり聞こえたりと言った「幻視・幻聴」のようなしぐさをされるのです。
ずっと怖がった表情で病室の端から端まで、まるで何かが彷徨っているかのように、目で追っているのです。
そして、その何かが突然、自分の方に迫って来たかのように、
身を構え叫び声をあげて怖がり震えるのです。
一晩中、眠ることなく叫び続けていました。
常に心臓はドキドキしており。脈拍数が高いのです。
そして小刻みにずっと震えているのです。
看護師さんにこのAさんはどうしてこのような症状なのか聞くと、
「認知症」だと言うのです。
認知症で… ずっと幻視・幻聴で、怯えながら生きているのか…?
ホラー映画の中にずっと自分が存在しているような感じなのです。
ベッドでその人の体重が分かるようになっています。
24キロです。ベッドの上には布団もあり、
床ずれ防止の為、沢山のクッションがあります。
だから多分20キロぐらい…
とても驚きショックでした。
何となく旧約聖書などで出てくる「悪霊につかれた人」って、こんな人ではないだろうかと思ったのです。
このAさん…
生きる事がどれ程大変なんだろう…
生きている事が辛すぎる…
誰にも理解されず、1人怯え続けているのです。
そう思うと私の心が痛みました。
私が何度も「Aさん! 大丈夫ですよ!」と声をかけても、
私の声は聞こえていない様子。
私がAさんの近くに立っても、私の事は見えていない様子なのです。
「主よ。どうかこのAさんを苦しめる悪い霊から、Aさんを開放して下さい!」と
仕事をしながら、一晩中祈りました。
そして次の日の朝、夜勤の仕事が終わり、
いつも体はバテバテなのです。
帰りの電車の中で、寝すぎて電車が車庫に入り、駅員さんに起こされるぐらい、
深く寝てしまうのです。
しかし、この日の帰りは違いました。
土曜日に仕事が明け、週末を過ごし、月曜日には次男は始業式です。
そして始業式後に、急いで次男は東京へ行き、私の兄宅で一泊して、
火曜日の午前中に、東京からニューヨークに行く事が決まっていたのです。
自分が持つ探求課題について、NYの高校に行ってプレゼンをし、
そしてアメリカの文化に触れることによって、
更に自分の探求を深め、
日本で発信するという事を目的としたプログラムに参加できることになっていました。
2カ月前に、日本の色々な所から9名がNYに行く事に決まっていました。
…しかし、なかなかプレゼンの準備に積極的でない次男。
「一体…いつ準備するの?」と私の気持ちは常にモヤモヤとしていました。
そして、とうとう明日に出発が迫っても、
荷物をパッキングしない…次男。
ですから、この日の仕事明けの時は、
私は眠気に襲われる事がなく、スマホで準備物をチェックしたり、
次男のプレゼンをチェックしたりと心が焦っていたのです。
週末は次男の事で、心が落ち着かずバタバタ。
月曜日、終業式を終え、次男は帰宅して30分で荷物をパッキングして東京へ向かったのです。
月曜日は私は仕事に行く日。
仕事前に新幹線のりばまで行きました。
道中、色々な話をしました。
次男はいざ、NYに行くという事に、少々緊張し出し…
「本当に行くの?うそみたい…何か嫌になって来た(笑)」と言っていました。
次男も、将来は主に仕える仕事をしたいと思っているようです。
「何か、今日が宣教師(主に仕える者)になる為の、第一歩の訓練が始まった様に感じる」と私が言うと、
「そうかも…! その訓練、受けて立とう!」と心を少し前向きに切り替えた様子。
そして次男を送り、私は仕事で病院へ向かったのです。
そして、自分の病棟に入り…
ビックリしました💦
Aさんが、以前と同じように奇声を上げて怯えているのです。
…私は、数日前、Aさんの姿を見て、生きる事が辛すぎる…と、
どうしたら良いんだろう…と心を痛めていました。
Aさんの解放のために、一晩祈っていました。
しかし、病院を出て、今日また病院に入るまで、
一度もAさんを思い出す事がなかったのです。
次男の事で頭が一杯だったのです。
…私ってなんて人間なんだ…
あんなにも心を痛め、苦しく感じ、心を込めてAさんの為に祈っていたのに。
一歩外に出ると、忘れてしまうのです。
一歩外に出ると、自分が中心なのです。
自分の生活に何かが起こると、直ぐに私の心は持って行かれるのです。
今回のように、時間が差し迫った事があると、
直ぐに心は持って行かれます。
そして多分、自分の生活が凄く思い通りに満たされていたら…
同じように、一歩外に出ると、
自分の幸せに浸り、私は多分、隣人へのとりなしを忘れてしまうと思います。
だから…
隣人への思い、愛情、とりなしを忘れない為にも、
ずっとそこに留まる…というのが大切なんだと思います。
実際的に、ずっと私が病院にい続けるというのは無理な話ですが、
自分の心を持って行かれないようにする為に…
主は、私が願いを全て叶えられないんじゃないかと思いました。
主は、私を決して裕福にはされない。
本当に必要最低限だけを与えて下さる…
私の心が、主を離れない、主を忘れない為に
主を求め続ける為に…
今日の御言葉、
「私の恵みは、あなたに十分である。というのは、私の力は、弱さのうちに完全に現れるからである」
「私の恵みはあなたに十分である」…という文が、
もう十分なんだよ! あなたは足らないと思ってるだろうけど…という意味があるように感じます。
もう十分なんだと気付きなさい…と。
「私の力は、弱さのうちに完全に現れるから」
この弱さというのは、肉体や精神的な意味だけでなく、
‟不十分”という意味があるように思います。
あなたの目に、自分が不十分だと思っていてとしても、
主はそれでら完全になしとげて下さる…
主が、私が願いを全て叶えられないという事は、
実は、主の大きな恵みなのかもしれません…
私の目に不足であっても、実はその不足なのが、私にとってはベスト。
私が主を離れない為に。忘れない為に。
主は、私たちにとって一番大切なものを与える為に、
私の願いの祈りに答えられないのです。
主は私にベストを与えて下さる為に…
祈りは叶えられない方が良い事も多いのです!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)