良い選択をするために必要な事【ルカ8:33-39】

2024年

悪霊どもは、その人から出て、豚に入った。すると、豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖に入り、おぼれ死んだ。
飼っていた者たちは、この出来事を見て逃げ出し、町や村々でこの事を告げ知らせた。
人々が、この出来事を見に来て、イエスのそばに来たところ、イエスの足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。人々は恐ろしくなった。
目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第を、その人々に知らせた。
ゲラセ地方の民衆はみな、すっかりおびえてしまい、イエスに自分たちのところから離れていただきたいと願った。そこで、イエスは舟に乗って帰られた。
そのとき、悪霊を追い出された人が、お供をしたいとしきりに願ったが、イエスはこう言って彼を帰された。
「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」そこで彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中に言い広めた。

ルカ8:33-39

私たちの人生は、日々、選択の連続だと言われています。

朝目覚め、直ぐに起きようか、5分だけゴロゴロしようか…

朝ごはんに何を食べようか…

そのような小さく感じる選択から、

人生を左右するように感じる選択まであります。

「選択」について昨夜から黙想していました。

今朝、起きてすぐに、

「あ…全ての選択において共通する事がある」…と思ったのです。

レギオンという悪霊に取りつかれた人の話を思い出したのです。

イエスさまの一行は、ガリラヤの向こう側、ゲラサ人の地に行かれました。

「向こう側」とは「異邦人の地」という意味です。

ガリラヤの「こっち側」が、ユダヤ人の地なのです。

主は、ユダヤ人の地から異邦人の地へ向かわれたと書かれています。

主が着かれると、直ぐに悪霊に取りつかれた人がやって来たのです。

長年、服を着ず墓場に住んでおり、町の人は鎖や足かせでその人を監視しようとしましたが、直ぐに引き裂き、無法状態だったのです。

イエスさまは、この人の悪霊をそこにいた豚の群れに追い出したのです。

2000頭いた豚たちは、険しい崖を駆け降り、湖に入り溺れ死んだのです。

その一部始終を見ていた豚を飼っていた人たちは

「この出来事を見て逃げ出し、町や村々でこの事を告げ知らせた」と記録されています。

すると、その噂を聞いた人々がイエスさまの元に集まって来たのです。

悪霊に付かれていた人が正気に戻り、服を着て座っている姿を目の当たりにしました。

「人々は恐ろしくなった」

「民衆はみな、すっかりおびえた」と書かれています。

そして町の群衆が出した結論は、

イエスに「自分たちのところから離れていただきたいと願った」のです

当事者である悪霊に付かれた人はどうだったでしょうか。

「お供をしたいとしきりに願った」と記録されています。

イエスさまは 「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをして下さったかを、話して聞かせなさい。」と言われ、

彼はそこから出て行き、イエスさまが自分にどんな大きな事をして下さったのかを、町中に良い広めたのです。

彼は、異邦人の地で初めての伝道者となったのです。

豚を飼っていた人と、悪霊に付かれた人は、同じ出来事をその場で体験しました。

そして、その一部始終を人々に伝えたのです。

しかしそれを聞いた人々は、

一方は、イエスさまにこの地から去るように願い、

一方は、お供をしたいとしきりに願ったのです。

この違いは何でしょうか。

物事をどのように見るか… という違いだと思います。

豚の所有者は、自分の被った損害だけに心が奪われたのです。

もしかしたら、

「大変だ!! 知らないユダヤ人が来て大変な事をしでかした! あの墓場に住む男いるじゃないか? あの男の悪霊を、俺の豚に乗り移させ、俺の2000匹もの豚がいきなり正気を失い、暴れ出し、崖目掛けて湖に一匹残らず飛び込ませた! こんな事、今までに見た事がない! この町に来て何をしでかすか分からない輩が現われたぞ!」

と言ったかもしれません。

一方、悪霊から癒しを受けた男の人は

「私は、素晴らしい事を成さる方に会いました! 私は長年悪霊に取りつかれており、町の人々は私を鎖や足かせで制御しようとしましたが、制御できる人は誰一人いなかったのです。私はイエスというユダヤ人に会い、その方は、言葉をもって私から悪霊を追い出し、悪霊を豚に追いやったのです。私は奇跡を体験しました。このような事を出来る権威のある方が他にいるでしょうか」

と言ったかもしれません。

前者の言葉を聞いた人々は、

イエスさまの元に駆け寄り、正気に戻った男の人を見たら、どう思うでしょうか。

「良き奇跡」ではなく「とんでもない奇跡」なのです。

絶対に不可能な事を、指一本使わず、やってのける人が現われたのです。

怖くなります。近寄りがたく感じます。不安になります。

結果、ここから去って下さい…と願うようになったのです。

豚を飼っていた人が、普段から悪霊に付かれた男の人を、心配し思いやる心があったとしたら、

悪霊から解放される瞬間を目にすれば、

人々に伝える言葉も違ったはずです。

しかし、豚の飼い主は、多分自分の財産にしか関心がなかったのです。

「被害を被った!!」という思いが、

真の意味を曲げてしまい、言葉として出るのです。

飼い主たちは、冷静になり、主の素晴らしい奇跡を伝えることも出来ました。

しかし、それには全く見向きも出来ず、自分の感情を選択し、行動に移したのです。

…という事は、

選択は自分の心の状態に左右されるのです。

普段から健康に関心が高く、気を使っている人は、

朝からの食事にも気を使います。

1日が始まる朝だから、しっかり良いものを食べ体調を整えないと!と考えるはずです。

糖質を抑え、たんぱく質を摂取するために…と考えたりするはずです。

しかし、私のように特に気を付けていない人は、

朝だから… パンをかじったり、時間がない時は食べないという選択をするのです。

小さく見える日常の選択も、

人生を左右させそうな大きく見える選択も…

自分の心に何があるかによって、変わってくるのです。

同じ状況に立たされても、自分の中に何があるかによって選ぶものが変わり、

感じる感情にも違いが出てくるのです。

私たちは、自分の中に何があるでしょうか。

日々、自分の中に良いもの。主を入れないといけないのです。

主を入れる…

主の御言葉を入れるのです。

自分の心のベースに、御言葉という土台をもち、

それを基準に物事を見て選べるようになりたい…

今日も、自分の心に主を入れましょう!!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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