主は二心あるのでしょうか?【使徒21:4】

2024年

私たちは弟子たちを探して、そこに七日間滞在した。彼らは御霊に示されて、エルサレムには行かないようにとパウロに繰り返し言った。

使徒21:4

今日も聖書通読した箇所からです。

パウロの第三回伝道旅行…

パウロは、小アジアにいた時、エルサレムに行こうとしました。

「自分の願い」ではなく「聖霊さまに導かれて」ではなく、

「御霊に縛られて」と記載されています。

聖霊に縛られて??

パウロは、じぶんがエルサレムに行けば、

自分の命が狙われる事を知っていました。

しかし、それが主が自分に与えらえた使命であると

パウロは分かっていたのです。

単に強制的という意味より、

これから自分に何が待ち受けているか分からないけれど、

聖霊さまの導きに対して深い信頼と、

福音を伝えるという使命感。

パウロが、使命感を全うしよう!!

主に従順しよう!!という

揺るぎない信仰の現われが、

このような表現になったのかも…?と思いました。

パウロはこの地(ミレトス)で出会った人たちに別れを告げ、

旅立ったのです。

エルサレムに向かう道中、ツロという所に入港しました。

そこで弟子たちを探して、7日間滞在したのです。

その時、弟子たちはパウロに「エルサレムに行かないように」と

言ったのです。

弟子たちのパウロを思う心からの発言ではなく

「御霊に示されて」と記載されています。

弟子たちは、御霊に示されて「エルサレムに行ってはならない!」と

何度も繰り返し話したのです。

???

少し前まで、主の御心は「エルサレムに行く」事でした。

しかし21章を見ると「エルサレムに行かない」が

御心のように読み取れます。

主の御心はどちらなのでしょうか…?

パウロにはエルサレムに向かうという思いを示されたのです。

しかし、数日後には、

弟子たちを通して「エルサレムにはいかないように」と

示された…

これってどういう事でしょうか。

何となく分かるような気がします。

パウロへ自由を与えているのです。

パウロがこの時エルサレムに向かうという事は、

火の中に飛び込むようなもの…

パウロ自身も、

ミレトスで出会った人たちに別れを告げた時

「もう二度と私の顔を見る事はないでしょう」と言っています。

これからパウロが歩もうとしてる道が

困難が待ち構えており、肉体的精神的に苦しい道なのです。

主はもちろん、困難な道も共におられます。

しかし…その道がパウロに与えようとしている使命の道だと

示しながらも、

パウロに自由を与えているんだと思います。

エルサレムに向かうという困難な道を選択しないという選択を与えているのです。

困難な使命を選択しても良いし、しなくても良い。

私たちは、困難だと分かっているものを選択する事が

難しい、不安、だという事をご理解されるのです。

だから…パウロが選びなさい。

仮に困難な道を避けたとしても、

パウロのその後の人生、主に用いられないなどという事はないと思います。

パウロに対する思いが減少するのではないのです。

困難な道を選択するのであれば、

そこでの主の御業、主の御力、主の恵みを経験するのです。

パウロが困難な道を選択しない場合、

選択しなかった別の道での、主の御業、主の御力、主の恵みを経験するのです。

選択により、内容はことなるのです。

しかし、選んだ道それぞれに、主が与えようとしている祝福があるのです。

パウロ… あなたが選びなさい。

あなたが何を選んでも私はあなたと共にいるよ。

と語られているんだと思います。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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