その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
ヨハネ20:19
以前に何度か書いたのですが、
次男が通っている学校で問題が多い状態です。
私はPTAに参加しているので、一方的な学校改革を進める学校に対して、日本や韓国の教育委員会や、領事館、日本にある韓国の機関など、
相談したり、訪問したりと忙しい日が続いているのです💦
そして高1の次男は2学期から生徒会に加わりました。
次男もこの問題に対して、関わりを持たされています。
家で学校改革について話す事が多くなりました。
昨日も話している時に、
私が「今、このまま黙って話を聞いてたら後で困るよ」
「保護者から苦情が出た時、経営陣は、学校改革は生徒会中心にしたって言われるから…」
など、先の事を考えて、今どうするのが良いのか…という話をしていました。
すると次男が
「言ってること凄く分かるし、今、自分たちがどうしたら良いのか考えないとダメだとも思う。
でもお母さんの話は、先の事に対して否定的な結果を考えすぎじゃない?」
と言われたのです!
確かに…!!
今まで、学校の経営陣が一方的な改革を行い、生徒会を盾にしていました。
保護者から苦情がでると「生徒会が考え活動しているので、温かく見守って下さい」と言って来たのです。
未来を予測し、今から対処する事は大切かもしれません。
しかし、今まで不当な行いがされてきたにしろ、
これからもその様な行いがされるかどうかは、分からないのです。
次男の言葉が心に残り、考えてみました。
私たちは、未来に対して「良くない場合」を想定する事が多いように思います。
もし、こうなったらどうしよう…
もし、失敗した場合、どうすれば良いんだろう。
もし、反対された時は…と。
それに比べ、
過去に対しては「良い事」を空想します。
あの時、もっとこうしていれば、もっと良い生活が出来ていたはず。
あの時、あっちを選択していれば、もっと簡単に成功していたはず。
…もちろん、過去があっての現在で、
現在あっての未来。
だから現在は過去からの影響を受けているし、
現在が未来に影響する。
今、未来に対して出来る限りの準備をしたい。と思った時に、
私たちはマイナスの場合について沢山想像するように思います。
こうなった場合、どうすればいいんだろう。
ああなれば、こうしたらいいのだろうか…?
人生が不安だからです。
先が分からないから。
私たちは、5分先の事も分からないのです。
不安を軽減する為にも、何が起きても対処できるように未来を想像するのです。
不安に勝利する為に…
一見、これから起こる「未来に対して準備する」と言えば、聞こえは良いのですが。
未来に対しての不安に勝てていないのです。
次男の指摘が心に留まり、
主は私に何を教えたいのだろう…
聖書にリンクする話はないだろうか…と考えました。
そしてまず思い出したのは、弟子たちです。
イエスさまを十字架で亡くし、これからの日々に不安に襲われていました。
皆が集まり、鍵をかけていたのです。
ローマ兵が捕らえにこないだろうか…
イエスさまの弟子だという事で、私たちは世間ではどの様に思われているんだろう…
不安しかなかったのです。
考えれば考えるほど不安…
その中に主が来られたのです。
そしてまず言われた言葉は
「平安があなたがたにあるように」
主は ‟平安” があるように…と言われたのです。
今まで寝食を共にしてきた友の様な存在の弟子たちは、
イエスさまが十字架に架かる時、逃げたのです!
イエスさまが復活をされて弟子たちに現れた時、「どうして逃げたのですか?」
「酷いじゃないですか!」などとは言われませんでした。
「平安があなた方にあるように」
主は本当に、私たちをよくご存知です。
未来の不安に対して、負けるという性質をご存知なのです。
私たちはどうしたら良いのでしょうか。
どうして不安な気持ちに勝利する事が出来るのでしょうか。
弟子たちは、主の姿を見て不安から勝利したのです。
私たちも、主を見上げ、主と共に歩むべきなのです。
主と共に歩み、主と共に時間を過ごすのです。
今日も、主を選択し、未来の不安から解放されましょう!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」