主が始められ、主が完成して下さいます【創世記28:15】

2024年

 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。

創世記28:15

創世記の46章に入ると、

ヨセフが今も生きていると知ったヤコブの一族が、エジプトへと移ろうとしています。

ヤコブのヨセフを抜いた11人の息子とその家族…

総勢70名ほど。

それに家畜を連れての移動です。

イスラエルの南部地区「ベエル・シェバ」という所でヤコブは、いけにえを捧げています。

つまり、「礼拝」をしたのです。

ヤコブはどうして道中、礼拝をしたのでしょうか。

礼拝の意味は何だろう…

どのような思いでヤコブは礼拝をしたのだろうと黙想しました。

まず、ヤコブには主に対して「感謝」がありました。

最愛の息子であったヨセフを亡くしたと思っていたのに、ヨセフは生きていたのです。

よみに下れば会えると思っていたヨセフは、生きている間にヨセフに会えるのです。

また穀物を買いにエジプトに息子たちを送り、シメオンやベニヤミンまでも亡くすと思ったけれど、守られたという事。

そして、続く飢きんの為、一族の存続も危うい中、ヨセフにより生き残る道が示された事。

そして「悔い改め」を、したと思います。

息子たちが見せた血の付いた長服を見て、自分が想像したのです。

ヨセフは、悪い獣にかみ殺されたと…

主ではなく、人が見せたものに心を留め、そこから想像し、それを信じたこと。

また、長年自分がヨセフが居なくなり苦しんだ… このもとの原因は、

自分の「偏愛」から始まっていると悟ったはずです。

父の偏愛が息子たちに、殺したいほどの憎しみの心を芽生えさせたのです。

そして、それを行動させるまでに追い詰めていたのです。

ヨセフを売って以降、自分も22年苦しんだけれど、嘘をつき続けなえればならない息子たちを思うと、苦しくなったはずです。

長男のルベンは、父ヤコブの側女ビルハと床を共にしました。

次男のシメオンと三男のレビは、妹のディナがケシムの町で若者に強姦されたのを知り、

2人で町の男を全て殺しました。

四男ユダは、自分の息子の嫁と寝てしまいました。

父ヤコブは、イサクの息子です。

イサクの父はアブラハムです。

ヤコブはアブラハム契約について十分に知っています。

ヤコブは、知っているのです。

神さまはアブラハムを選び、召し出して、アブラハムを通して全ての民が祝福を受けることを約束されており、それが自分の民族であることを。

選ばれた祝福を受ける民族なのに…

自分の子どもたちはどうだろう…

どうしてこのように育ったのだろう…

ヤコブは自分の過去も振り返り、次男でありながら兄の長子の権利を奪ったからだろうか…

などと沢山の悔い改めをしたと思います。

そして、「神の御心を求める」という意味もあったと思います。

神さまが、アブラハムから多くの子孫が与えること。

またカナンの地を与えるという約束を知っていました。

にも拘らず、自分はカナンの地を出てエジプトに向かって良いのだろうか。

ヨセフに呼ばれたから、ヨセフに絶対会いたいから…という思いだけで今、旅立っているのではないだろうか。

主よ。私たちはこのままカナンの地を後にしてエジプトへ行っても良いのでしょうか?

という主の御心を求め確信を得たいと言う祈り。

(イサクには ‟約束の地を出てエジプトに行ってはいけない”(創26:2) と言われています)

ヤコブのこの姿から、「礼拝」とは何なのかを見れるように感じます。

主はヤコブに幻を通して語られました。

「エジプトに下る事を恐れるな。そこであなたを大いなる国民とする」と言われたのです。

イサクの時はエジプトに行くなと言われ、ヤコブの時はエジプトに行けと言われたのです。

しかし、主が与えらえた土地はエジプトではなくカナンの地なのです。

主には計画があるのです。

これからまだ5年間続く飢きんからの守りもありますが、

ヤコブの一族に、エジプトの「ゴシェン」という場所を与えらえました。

エジプト人は家畜を飼ったり農業をしたり、などという職業を良く思っていませんでした。

家畜や農業にとって「ゴシェン」は最良の土地であり、

エジプトの文化からは隔離された地であり、エジプト人と区別された生き方を持って生きる事が出来たのです。

ヤコブにゴシェンの地ではなく、他の土地が与えられていたとしたら、ヤコブ一家はエジプト人に同化していったと思います。

しかし、主の目的はヤコブ一族はエジプトにおいて「永住」ではなく「寄留」なのです。

ヤコブ一族はゴシェンの地で430年住みました。

そして自分たちの文化を守りながら、何百万人と増え、カナンの地へ帰ったのです。

イサクの時はエジプトに下る事を止められたのに、

ヤコブの時はエジプトに行く事を勧められました。

主には理由があるのです。

ヤコブの子どもたちは、カナンの地に留まりながらカナン人の方に入り込み、罪を重ねて落ちて言ったのです。

このままでは神の民として相応しく生きていけなくなったのです。

ですから、神さまはエジプトのゴシェンという隔離された地に民を移されたのです。

私たちの目には分からない、主の計画があるのです。

主が始められ、主が完成して下さるのです。

…ヨセフは兄たちに

「家財に未練を残してはならない。エジプト全土の最良の物は、あなたがたのものだから」と言っていました。

私たちにも言われているように感じます。

ヤコブが全てを置いて、未練も残さず、カナンの地を発ちエジプトに向かったように…

私たちもいつか、この地を旅立ち、神の国へと向かうのです。

この地に未練を残してはいけないのです。

今までの努力やその結果… 何も持たずに、全てを置いて旅立つのです。

旅だった先には、最良のものを準備して下さっている主が居られるのです。

私たちも、いつ旅立つのか分かりません。

旅立つという事は不安かもしれません。

しかし主はアブラハムに約束されました。

「 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」

主が始められ、主が完成して下さるのです。

私たちも同じです。

主は私たちの人生に計画を持っておられ、始められているのです。

そしていつか完成して下さるのです。

今は、その道中。

ヤコブがしたように、

感謝・悔い改め・御心を求め

私たちは礼拝を捧げるのです。

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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