だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。ヨハネ7:37b-38
私たちは生活しながら、ふとした瞬間に「人生が色あせて見える」ことはないですか?
つい数日前まで、そんな風に感じなかったのに…
自分の人生や生きる事自体が、無意味に思えたり、虚しく空っぽに感じ、深みに落ちていく様な感覚。
誰もがあると思います。
困難に遭った時、裏切られたり、傷つけられたり、挫折を感じる時もあるでしょうし、自分の能力に限界を感じた時、人に必要とされていないと感じた時なども、深みに陥るきっかけになると思います。
また特に、きっかけはないけれど、単調な日常に嫌気がさす事もあります。
いつまで同じことを繰り返すんだろう…
この人生に意味はあるのだろうか…という事が頭を過ぎるのです。
いつからかは分からないけれど、惰性で生きている事に心底虚しくなるのです。
どちらにしろ、この様に人生が色あせて見え始め、生きる事に疲れを覚える…
そして私たちは、何とか自分の精神を鼓舞しようとするのです。
仕事に打ち込んで見たり、趣味を探したり、恋愛をしてみたり、結婚や、新しい環境に変えて見たり、
ずっと欲しかった物を思い切って買ってみたり、旅行に行ったり、ストレス発散をしたり…
もがくのです。
自分の大きく空いた心の穴を埋めようと。
心の穴というより「魂の穴」かもしれません。
この穴は、私たちが思う以上に大きいのです。
色々な物でその穴を埋めよう、塞ごうとしても、この世のものはこの穴より小さいのです。
ご存知の通り、この穴はキリストにしか埋める事が出来ないのです。
この世の何を持っても、私たちの魂の穴は埋める事が出来ないのです。
出来たと感じても一瞬なのです。
主から離れ、主を忘れ生きている私たち。
しかし私たちの魂は主を覚えているのです。
私たちの魂は、主のもとに帰りたいのです。
魂の飢え渇きは、主にしか埋める事が出来ないのです。
多くのクリスチャンは、主を信じた時に魂の穴を埋められ、喜びに満たされた経験をしていると思います。
しかし…問題があります。
一度、この穴を埋められてもまた渇くのです。
主との交わりがおろそかになると、私たちはまた世の中の価値観に流され、主を見失ってしまうのです。
私たちの魂には、私たちを造られた創造主なる命が必要なのです。
私たちは食事をして肉体を維持するように、霊的な食べ物である聖書、主との交わりなしに霊を維持できないのです。
だから、日々のデボーションは大切なのです。
生きて行く中、時折やってくる虚無感、喪失感、全てが無意味に感じ、全てが嫌になったり…というのは、当たり前に起こる事なのです。
生命を維持する為に、お腹が減った時はお腹が鳴り、身体が食物を求めるのです。
「食べないと生命の維持が難しい」というサインなのです。
これと同じで、
私たちが感じる虚無感、喪失感も
「このままでは魂が限界」という主からのサインなんだと思います。
「このまま生きていたらダメだよ!」という命のサイン。
クリスチャンであってもなくても、私たちは時折、主からサインを送って頂いているのです。
しかし、残念なことに、私たちはそれをサインだと気付かず、
主ではない他のものに目を向けてしまっているのです💦
主からのサインを感じたら、今自分の魂は危険な状態だと立ち止まらないといけないのです。
よそ見をせず、主を見上げるのです。
信仰のバロメーター。
私も、虚無感、喪失感に襲われる時があります。
特に何かあった訳でもなく、ふと深みに落ちるのです。
その時は、1人部屋に籠って賛美のシャワーを浴びます。
賛美をし、沢山泣くのです。
何かがあった訳でもないのに、涙が流れます。
多分… 私たちは日常で頑張っているのかもしれません。
傷ついた心に蓋をして無理やり過ごしているのだと思います…
主の御前で沢山涙を流し、賛美をし祈れば、復活します!!
主からサインが送られたら、
魂を満たす事が出来るように、主との時間を持って下さい!
今日も、主との時間を大切に過ごす事が出来ますように…!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」