すると、会堂管理者のひとりでヤイロという者が来て、イエスを見て、その足にもとにひれ伏し、
いっしょうけんめい願ってこう言った。「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。娘が直って、助かるようにしてください。」
そこで、イエスは彼といっしょに出かけられたが、多くの群集がイエスについて来て、イエスに押し迫った。
ところで、十二年の間長血をわずらている女がいた。
この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。
彼女は、イエスのことを耳にして、群集の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。
「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていたからである。
すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。
イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群集の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか」と言われた。
そこで弟子たちはイエスに言った。「群集があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。
イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。
女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。
そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」
マルコ5:22-34
イエスさまは、長血を患う女性に出会う前、会堂管理者のヤイロという人と会話をしています。
ヤイロは、12歳のひとり娘が死にかけているので、イエスさまに癒しを求めて駆け寄ったのです。
この時、イエスさまの周りには、イエスさまを待ちわびていた群衆で溢れていたのです。
そこにヤイロは駆け寄り、イエスさまの足元にひれ伏したのです。
そしてヤイロは一生懸命に主にお願いしたのです。
「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。娘が直って、助かるようにしてください。(23節)」と言ったのです。
その言葉を聞いたイエスさまは、ヤイロの家に向かいました。
結局、ヤイロの家に行く前に長血を患っていた女性に出会い、(時間を使ってしまい)イエスさまがヤイロの家に着く前に、ヤイロの娘は死んでしまったという報告を受けたのです。
しかしイエスさまはヤイロに「恐れないで、ただ信じていなさい。」と言い、ヤイロの娘を癒されました。
この部分を読んだ時、ヤイロと長血を患う女性は正反対だなと思いました。
ヤイロはたった一人の娘が死にかけていて、切羽詰まっており、急を要していました。
イエスさまの周りには群衆がいたのです。群衆は噂のイエスさまを見たい・・という人もいたと思いますが、癒しを求めて集まって来た人も多いと思います。
ヤイロはその中に割って入り、ひれ伏して懸命にお願いしたのです。
すごく積極的なアプローチです。
それに比べ、長血を患う女性は「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と心のうちで思った。と聖書に書かれています。
無言でイエスさまの着物を触ったのです。
長血を患う女性は、必死に願っていなかったのでしょうか?
ヤイロより信仰がなかったのでしょうか。
どうして、この女性はヤイロのようにイエスさまに声をかけ、「癒して下さい!!」と言わなかったのでしょうか。
彼女の人生は失望だったのではないでしょうか。沢山の医者にひどい目に合され、自分の持ち物もみな使い果たし、ひどい痛みがあったと聖書にあります。
人生に希望がなかったのです。12年間、痛みを伴う病を持っていました。身体も心も弱り果てていたのではないでしょうか。
ヤイロの信仰に比べたら、小さく弱い信仰かもしれません。
しかし、彼女は自分に出来る信仰を行動で示したのです。
群衆を掻き分け、イエスさまに近づき、着物に触ったのです。
イエスさまはこの女性の「小さく弱い信仰」ではなく「小さくても強い信仰」を見逃さなかったのです。
イエスさまは、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群集の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか」と言われました。
イエスさまは、ヤイロの家に向かう所で先を急いでおられました。しかし、わざわざ足を止め、小さな信仰の持ち主を探されたのです。
小さな信仰者に声を掛けるためです。
そして「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」と言われました。
小さな信仰をスルーされることなく、しっかりキャッチされたのです。
小さな信仰者にも、時間を取り、傷ついている女性に声を掛けられ、信仰を認められたのです。
イエスさまの周りには沢山の群衆がいました。
沢山の人がイエスさまの着物に触れているはずです。
しかし、信仰を持って触れた者だけが、癒しを得れたのです。
信仰を持って触れた者だけが、イエスさまの心に止まったのです。
信仰を持って触れた者だけが、イエスさまとコンタクトを取れたのです。
私の信仰はどうだろう・・・
信仰を持って瞬間瞬間、歩めているだろうか・・
ヤイロのように、大勢の人を押しのけ、御前に出てひれ伏し、大きな声で主に願える信仰を持っているだろうか・・・
多分、私はそのような大胆な信仰を持てていないと思います。
しかし、主は、心のうちで考え、自分に出来る行動をとる信仰者をしっかり受け止めて下さるのです。
自分に出来る行動、信仰告白をして行こうと思います!
今日も、主が私たちに心を止めて下さっています。
主の中で喜びに満たされた一日をお過ごしください!