私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
詩篇121:1-2
先日、子どもの学校に行きました。
私は、学校でPTA活動に参加しており、今月末に学校の行事の準備の為、行きました。
夫が韓国人という事もあり、子どもは韓国系の学校に通っています。 一つの敷地に幼稚園から高校まであります。
行事では、バザーコーナーがあって、今日は学校ごとに分かれ、バザー品の整理をしました。
次男は中学なので、中学の保護者が集まるテーブルで作業していました。
学校の行事はここ数年、十分に出来なくて、学校へ行く回数もグッと減っていました。
久しぶりに会う保護者の方たちと、話しながらの作業。
一段落ついて、他の学校はどうかなと何気に振り返りました。すると、互いに背中を向けながら立って作業していた小学校の保護者の1人が、何気に同時に振り返り、私と目が合ったのです。
互いに驚きました! うちの長男が小学校の時の同級生の保護者だったのです!(もう高校を卒業し、この学校にはいません)
「え?どうしてここに居てるのー??」とビックリ。話を聞くと、一番下の子どもが小学生だったようで・・・
互いに学校に殆ど行くこともなかったし、子どもの学校も違うので会うことがありませんでした。
数年ぶりの再会に花が咲き、楽しい時間を過ごす事ができました。
全ての学校が作業が終わり、帰路につきました。「今日は、久しぶりに学校へ行けて良かった。久しぶりの保護者にも会えたし、互いの長男の近況も聞けたし・・」と思っていました。
そして「もし、あの瞬間に互いが振り返らなかったら、気付かずに帰路についていたかも・・・」と思いました。
同じ時間、同じ空間に居てても、私が振り返らなかったら出会えなかったな・・・と思うと、
主と同じだな・・・と思いました。
主は、私と目を合わそうと、自分がここにいると存在を示そうと、ずっと私を見つめていると思います。
しかし、主と目を合わす為には、私も主を見ないと、目が合いません。
主は私と目を合わそうと、ずっと待っておられるかも。。。
でも私は、色んな事に気を取られて、主と目を合わすタイミングが合っていないかも。
朝のデボーションで、聖書を読んで祈る時間を持っても、もしかしたら、頭では今日の予定が過ぎったりで、主を見ているつもりで、実は焦点が合っていないかも・・・
振り向いた瞬間に、リレーションシップ(関係性)が始まりました。
背を向けている時は、何のつながりもありませんでした。
私にとって、振り向いた事によって、とても良い時間を過ごす事ができました。
こんな瞬間って、特別な事ではなく、日常によくある事です。
主と目を合わす事によって、それが永遠の命へつながるのです。反対に、主と目を合わせる事がなく、罪を持ったまま人生を歩む事も出来るのです。
今日、主と目を合わす事によって、主の導きを感じることができ、何かから解放される日となるかもしれません。
日常の、なんてない事にも、主からのメッセージがあるんですね!
今日、主と目を合わせ、導きを受ける日となりますように!
私も今日、主の顔を見上げる事に集中します!
今日も、主の導きを感じる一日となりますように!!