試練は「壊すため」ではなく「造るため」【Ⅰペテロ1:7】

2025年

「あなたがたの信仰は、火で精錬されても朽ちてしまう金よりも尊く、
試練によって本物であることが証明され、
イエス・キリストの現れのときに称賛と栄光と誉れをもたらすことになります。」

Ⅰペテロ1:7

「連断(れんだん)」という言葉を目にしました。

不純物が混ざった金を溶鉱炉に入れて高温で熱し、

不要なものを焼き尽くして、

純粋な金にするという精錬の工程を表す言葉だそうです。

高温の火によってしか得られない真の美しさ、価値。

連断された金の姿だそうです。

この文章を読んだ時、信仰の歩みもこれとよく似てるな~と思いました。

主は私たちを連断の炉へと導き、時には痛みや困難を通して、

より純粋な信仰者へと造り変えてくださる…。

私たちは人生の中で、

理不尽な苦しみや人には言えない葛藤、

自分自身の弱さや罪に向き合わされる時があります。

私たちの目には偶然に写るかもしれませんが、

主の手によって整えられた「連断の時」だと思います。

聖書の中の人物も「連断の時」を過ごした人が多くいます。

大きく分けて、2つの「連断の時」があるように思います。

ヨセフの人生は、連断の試練の連続でした。

彼は兄たちに妬まれ、エジプトへ奴隷として売られ、
主人に忠実に仕えていたにも関わらず、
濡れ衣で投獄。

長い年月を不当な立場で過ごしながらも、

主への信頼を手放さず、

ついにはエジプトの宰相として神の御業を担う器となりました。

ペテロも「連断の時」を過ごしました。

彼が経験した試練の炉は、自分の弱さによって招いたもの…。

主を知らないと3度も言ってしまい

彼は自分の限界、自信の危うさ、

自分ではどうにもならない罪深さを思い知ったのです。

しかし主は、そんな彼を見捨てませんでした。

復活の後、イエスはペテロに優しく問いかけます。

三度の否認の後、三度の「愛しますか」がペテロに問われました。

この会話は、まさに主による「連断の時間」

ペテロのプライド、恐れ、浅い自己理解はすべて、

主の愛の火の中で焼かれ、

やがてペテロは真のリーダーとして

教会を導く者へと変えられたのです。

ヨセフのように「一方的に降りかかる試練」も、

ペテロのように「自分の過ちからくる試練」も、

主はそれを用いて、私たちを練り、磨き、

より主に近い者へと変えてくださるのです…。

どちらも、主の手の中にある「連断の時」。

主のご計画から外れている苦しみは、

一つもないと私は信じます。

…私も今「連断の時」

私を壊すためのものではなく、

真に輝く信仰者へと鍛え上げるため、

主の愛の中に私はいるのです。

私は、今日も主を信じよう…‼

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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