その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」と言われた。
使徒23:11
困難の中にいながら感じる事があります。
主の働きは、私たちには「偶然」のように見えるのです。
今日の聖書の箇所は、
パウロは第3回宣教旅行を終え、エルサレムへ向かったのです。
しかし、「パウロが律法を無視し、
異邦人にユダヤの慣習を捨てさせている」という噂が広がっており、
神殿で彼を見かけたユダヤ人たちは暴動を起こしました。
パウロは自らの市民権を主張し、その場で自分の弁明をしたのです。
しかし、ユダヤ人たちの怒りは収まらず、
騒ぎが続いたため、ローマ軍の千人隊長が介入し、
パウロを逮捕・保護したのです。
そしてその日の夜、
兵舎に保護されているパウロに、自分の姉の子ども。
甥が訪れたのです。
甥は ‟偶然” 夜明けに、このような話を聞いたというのです。
パウロを殺すまで飲み食いをしないと固く誓い合った者が40名ほど
殺害の計画を立てているというのです。
このような内密の計画をどのようにして偶然知る事ができるのでしょうか。
しかもパウロの身内が、耳にしたのです。
甥は青年と書かれていますから、まだ若い子ども。
勇気をだして兵舎まで行き、パウロに伝えたのです。
パウロがエルサレムの暴動で殺されなかったのは、
情報提供者がいたから…。
結局は、パウロは百人隊長を呼び、
自分の甥を千人隊長のもとに連れていくように伝え、
千人隊長は甥の話を聞き、対処してくれたのです。
内密な殺害計画が行われる前に、
パウロをローマに移動させたのです。
この話の流れで2つ、考えさせられます。
一つ目は、
主の働きは私たちの目には「偶然」のように見えるという事。
偶然、耳にしたのです。
偶然、それはパウロの甥っ子だったのです。
聖書を物語のように読「へーそうなんだ…」とスルーして
しまうかもしれません。
しかし、このような非情に敵意の強い内密な計画を
偶然耳にする事は、ありえないのではないでしょうか。
2つ目は、
パウロがローマ軍の千人隊長に保護された日の夜、
主はパウロに
「勇気を出しなさい。あなたはエルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでもあかしをしなければならない」と言われたのです。
パウロはどう思ったでしょうか?
パウロはエルサレムに行ってからローマに行くつもりでした。
エルサレムに入る前、
預言者アガボなど複数の人がパウロに「エルサレムで捕らえられる」と警告しました。
パウロは「主イエスの名のためなら死ぬことさえいとわない」と歩みを進めたのです。
死を覚悟し、エルサレムに入ったのです。
しかし、その日の夜に、主が「勇気を出しなさい」と励ましているのです。
パウロは励ましを受ける状態だったのです。
私がパウロであれば、主の言葉を聞いて、
今、凄い暴動に巻き込まれ、人々が私を殺そうとしているけれど…
私はエルサレムを無事に出て、ローマに行けるんだ…!と
思うのではないでしょうか。
今目の前で起こっている暴動から抜け出せる…という、
多少の安心感を得たと思うのです。
しかし、次の日の朝、
甥から殺害計画があると聞かされるのです。
私だったら、私の心は上がったり下がったり…。
昨夜主から励ましを得たのに。
エルサレムは安全に出れると思ったのに。
一時の安心感は、再び、動揺したのではないでしょうか。
殺すまで飲み食いしないと団結した刺客の存在。
パウロは甥を千人隊長に送りますが、
パウロはその結果を直ぐに知る事は出来ないのです。
今の時代であれば、甥から「千人隊長の様子」を
LINEで瞬時に送れる事でしょう。
しかし、そのような情報を得ることが出来ない時代。
パウロの心はどうだったんだろう…と想像すると
私までドキドキハラハラします。
困難の中で、心が上がったり下がったりするのは、
信仰の歩みにおいて自然なことかもしれません。
けれども、たとえ「偶然」のように見える出来事であっても、
その背後には主の深いご計画と守りがあるのです‼
パウロが経験したように、
私たちの目に見えないところで、
主はすでに道を備えてくださっているのです…。
だからこそ、今日も心を落ち着かせて、
主を信じて歩んでいきたいと思います!
「勇気を出しなさい」――
この主の語りかけを、私も心に受け取ります。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)