イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
これは、知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、
正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するためであり、
わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるためである。
知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得る。
箴言1:1-5
毎朝、箴言を読んでいます。
箴言は31章あるので、一日一章読めば、丁度一ヶ月。
箴言を毎日一章ずつ読まれている方も多いと思います。
箴言を読む度に「知恵が欲しい…」と切に思います。
聖書が言う「知恵」って何だろう?
今日は、一日ずっと知恵について考えました。
まず「知恵」と聞いて思い出す御言葉。
「主を恐れることは、知恵の初めである。」
箴言 9:10、詩篇 111:10、2ヶ所に書かれています。
知恵の土台となるのは「主を恐れること」
つまり、神が神であることを認め、従う姿勢。
へりくだりと信仰が知恵の出発点。
愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし、知恵のある者は忠告に耳を傾ける。(箴言 12:15)
この個所から、聖書の知恵は、
人生のあらゆる局面で
善と悪や真と偽を見分け、正しく歩む力。
実生活に根ざした知恵…。
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコブ 1:5)
この個所から、知恵は主が与えてっ下さるものであり
求めるもの。
人の人生での学歴や経験によるものではない…。
しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義の聖めと、贖いとになられました。(Ⅰコリント 1:30)
パウロは…「キリストこそが神の知恵」だと言っています。
つまり、キリストの十字架の愛と復活の力の中に、
人間の思いを超えた究極の知恵がある…。
まとめると、聖書における「知恵」は、
現代的な「知識」や「情報処理能力」とは異なり、
主との関係の中で生まれるもの。
正しく生きるための力や判断力。
主よ、あなたを恐れ、あなたの道を知る者として、
私にも知恵を与えてください…。
キリストにあるあなたの深い知恵に生きる者となりたい…。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)