正しく生きるための力や判断力【箴言1:1-5】

2025年

イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
これは、知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、
正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するためであり、
わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるためである。
知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得る。

箴言1:1-5

毎朝、箴言を読んでいます。

箴言は31章あるので、一日一章読めば、丁度一ヶ月。

箴言を毎日一章ずつ読まれている方も多いと思います。

箴言を読む度に「知恵が欲しい…」と切に思います。

聖書が言う「知恵」って何だろう?

今日は、一日ずっと知恵について考えました。

まず「知恵」と聞いて思い出す御言葉。

「主を恐れることは、知恵の初めである。」

箴言 9:10、詩篇 111:10、2ヶ所に書かれています。

知恵の土台となるのは「主を恐れること」

つまり、神が神であることを認め、従う姿勢。

へりくだりと信仰が知恵の出発点。

愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし、知恵のある者は忠告に耳を傾ける。(箴言 12:15)

この個所から、聖書の知恵は、

人生のあらゆる局面で

善と悪や真と偽を見分け、正しく歩む力。

実生活に根ざした知恵…。

あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコブ 1:5)

この個所から、知恵は主が与えてっ下さるものであり

求めるもの。

人の人生での学歴や経験によるものではない…。

しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義の聖めと、贖いとになられました。(Ⅰコリント 1:30)

パウロは…「キリストこそが神の知恵」だと言っています。

つまり、キリストの十字架の愛と復活の力の中に、

人間の思いを超えた究極の知恵がある…。

まとめると、聖書における「知恵」は、

現代的な「知識」や「情報処理能力」とは異なり、

主との関係の中で生まれるもの。

正しく生きるための力や判断力。

主よ、あなたを恐れ、あなたの道を知る者として、

私にも知恵を与えてください…。

キリストにあるあなたの深い知恵に生きる者となりたい…。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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