そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
使徒1:6
私は、自分に何か問題が生じた時に
思い出すのが今日の御言葉の箇所です。
復活したイエスさまに対して弟子たちが話したセリフです。
弟子たちを含む当時のユダヤ人は、
多くが「メシア(キリスト)」を
ローマの支配から「イスラエルを解放して国を回復する王」と期待していたのです。
しかし、イエスさまが十字架にかかったことで
人々は希望を失いました。
そして復活されたイエスさまを見て
「今こそ王としてイスラエルを回復するのでは⁉」という思いが再燃したのです。
誰よりも主と共に過ごした弟子たち。
3年近く共に過ごしたのです。
そして、弟子たちは復活したイエスさまと
40日も過ごしていたにもかかわらず、
「神の国は今、目に見える形で政治的に来る」と誤解していたのです。
弟子たちのこの問いに対してイエスさまは
「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
と答えられています。
人々はイエスさまに「国の再興」を期待していました。
しかし、イエスさまは「イスラエルの再興」をする為に
この世に生まれた訳でも、十字架に架かったのでもない…。
聖霊によって世界宣教が始まり
「神の国が霊的に始まっていく」と言われたのです。
人々は、自分の置かれた状況・環境・条件からの解放。
ダビデ王のような地上的な王国を回復する「救い主」を望みました。
イエスさまも、民がどの様な問題を抱えているのか
十分にご存知でした。
しかし、主の視点は違うのです。
目の前の問題解決ではないのです。
主は、目の前の問題より、この世の霊的回復を望んでおられる。
…私たちは問題や困難が生じた時、
問題の解決・解放に対して、主に懸命に祈ります。
この一点に集中するのです。
私もそうです…💦
主は、私の問題・困難に関心がないわけではない…
しかし最大の関心事は、この世の霊的回復。
私はいとも簡単に、問題により、心がかき乱されます。
解決・解放より先に
自分の霊的回復。
心も霊も、問題に縛られている所からの回復を祈ろう…。
どのような状況であっても
私の心と霊は主のものである!と告白して行こう…!
今日も、私は主を信じる…!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)