あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
コロサイ3:2
今、私の心はどの様な状態だろうか…。と考えるようにしています。
私には悪い習慣があるからです。
誰かに傷付けられたり、理不尽な事に巻き込まれたら…
私の頭はその時のことを何度も何度も反芻(はんすう)するのです。
人に言われた時の状況、その時のその人の表情や態度。
言葉使い。それに対して周りの人々はどのような印象を受けるだろうか?
今ある理不尽な状況における私に起こりうる問題の数々を
想像するのです。何度も何度も。
思い出しては悲しくなり、落ち込み、涙したり、
腹立たしく思ったり…を繰り返すのです。
そんな感情のループを、延々と繰り返してしまうのです
しかし、それに意味があるのでしょうか。
自分にとって理不尽な事が起きたとして、
それを自分の頭の中で何度も反芻する事によって
もっと傷つくのです。
反芻すればするほど、癒しを受けるのであれば良いのですが、
反芻したところで、解決へとはならないのです。
これは私の悪い習慣。
悪い出来事を反芻する習慣は、
私をもっと深い暗闇へと導くのです。
私をもっと主から離れた所へと導くのです。
コップに水が半分あり、それを見て
「もう半分しかない」「まだ半分ある」
あなたはどの様に感じるのかと言うのは有名な話です。
しかし、実際にその水が美味しい水だとすれば「もう半分しかない」
それが苦い水薬だとしたら「まだ半分もある」
となりがちです。
同じものを見ても、自分の状況、心情に左右されるのです。
規準が自分の感じる感情だからです。
モーセがイスラエルの12部族から一人ずつ選び
12人を約束の地カナンへ送りました。
10人の否定的な答えをした人々も
「そこには乳と蜜が流れている地」だと現実を見ています。
しかし心の負担に負けたのです。
「そこに住む人々は強く、城壁は堅固で我々には勝ち目がない」
カレブとヨシュアも、カナンの地が堅固だと分かっています。
しかし「主が共に居られるなら、必ずその地を得ることが出来る」
と言っているのです。
良い地である。しかし城壁が堅固。カナン人は大きい。
12人共に同じ情報を得ているのです。
問題は心の問題です。
心が感じるがままに「無理だ」という思いにウエイトを置くのか
「主が共に居て下されば可能だ」という思いに比重を動かせるのか。
心のウエイトの置き方によって、決断が180度違って来るのです。
良くない思いを反芻するという習慣は、
主を信頼するという思いとは正反対の習慣です。
自分が感じるがままに時間を過ごしてはいけない…。
良くない習慣が自動的に発動するからです。
良くない習慣が出てきたら、
すぐさま主を呼ぶ!
「私が自分の思いで世の中をみるのではなく
あなたの思い出世の中を見る事が出来ますように…」
今日も、主を選ぼう!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)