互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めあいあなたがたは、どうして信じることができますか。
ヨハネ5:44
夫が「あの絵本のタイトルなんだっけ?」と
絵本のストーリーを話しだしました。
『ある村では、互いに評価をし合い、
上手くやれる人に金色の星のシールを、
何をして失敗ばかりの主人公は、灰色のシールだらけ。
ある時、金のシールしか貼られていない人に会って
主人公は驚き、どうして灰色のシールがないのかと聞いたら
丘の上にいる自分たちを制作した人に会いに行けばいい!という話』
と言うのです。
多くの人がこの絵本を読まれたと思います。
マックス・ルケードの「たいせつなきみ」です。
私は1年程前、ブログで書いた事がありますが。
その時、凄く久しぶりにこの絵本を手にして読んで驚いたのです!
久しぶりに読む前まで、
夫が話した要約の内容を記憶していました。
皆さんは、どのように記憶されているでしょうか。
夫が上記のようなストーリーの要約を話すので
「私も1年程前まで、そんな内容だと記憶してたんだけど
その内容は間違ってるんだよ」と言って
本当の要約を教えてあげたら、
私が驚いたのと同じように、驚いていました。
主人公のパンネチロは、人々に灰色のシールだら貼られ、
落ち込んでいた時、1人の女の子に出会ったのです。
その女の子は、
金のシールだけが貼られていたと
私も夫も記憶していたのですが、
絵本を読み直すと、
金のシールも灰色のシールも貼られていなかったのです。
何のシールも離れていない女の子に驚き
パンネチロは「どうして何も貼られていないのか」と声をかけたのです。
今まで、この女の子に
「灰色のシールが一枚もないなんて凄い!」と
金のシールを貼ろうとした人は居ました。
また反対に、
「シールが一枚もないなんて!」と灰色のシールを
貼ろうとした人もいました。
何度シールを貼ろうとしても、直ぐに剥がれ落ちたそうです。
そうなんです…
金も灰色も貼られていなかったのです。
私たちが誤って記憶した
「金のシールしかない」状態だったとしたら、
心に傷を受けずに生きていける人。
皆に愛され、認められる人生を送れてる人。
主は私たちを「尊い」として下さっています。
主の目線で「私たちは尊い」から
金のシールしか貼られない…?
そうではなく、作者が伝えたかったのは、
主の評価でない、人の評価に心を奪われないようにしなさい。
人から良い評価を貰ったとしても
それは人の評価。
悪い評価も同じで、それは人の評価に過ぎない。
主の評価ではない。
主は、始めから「尊い者」として私たちを想像されたのです。
この謝った記憶からは、
利己的な思いや思考が自分の中にあるのが分かります。
自分に対しての悪い評価は
主が付けられた評価ではなく、単なる人の評価。
気にしたり傷つく必要は必要はない。
とだけ、理解していたのです。
そして人からの良い評価は、そのまま受け取っていたのです💦
本当に利己主義。
良い評価は受け取るけど、
悪い評価は、受け取る必要はない。という考え。
主が望まれているのは、
主からではない、全ての評価に心を奪われないという事。
都合の良いものだけ受け取り、
自分にとってマイナスなものだけ振り払う。
その様な姿をどの様な思いで見られていたんだろう。
どこまでも利己的な私…。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)