その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
ヤコブ1:4
今年度、自治会の役員が当たる年なのです。
「あー嫌だな…面倒だな…」と思っていました。
仕方ない。と思いつつも
PTAの仕事だけでも、本当に頭が痛いのに…と思っていました。
しかし、これは仕方ない。
それで「どの様な役員が当たるのか分からないですが、
私に必要な役を与えて下さい」と祈って見ました。
今までは「嫌だな…簡単な役が当たって欲しい」と思っていました。
でも今回は、
「主は、今の私に何を与えられるんだろう??」と思い、
ちょっと楽しみにしていました。
そして結果は「会計」
私は今まで会計業務をした事がありません…。
え…出来る?と心配したのですが
会社の会計ではなく、自治会の会計だし…
規模が小さいから大丈夫だろう!と思い、
今日、前任者から引き継ぎを受けました。
すると…思ったより複雑…
今や、スマホで振り込みや支払いをする時代なのに
銀行に行って「預金払戻請求書」を書かないと引き落とし出来ないのです。
(不正を防ぐためキャッシュカードがない…)
しかも、何処を見ればいいのか分からない位
沢山の資料を大きな紙袋2つも受け取りました💦
2時間も話を聞いたのですが
重い引継ぎの荷物を持ちながら
「で…結局、何をどうしたらいいんだろう?」と思ったのです。
「あれ?ホントに出来る?私、大丈夫?」と不安になったのです。
家に帰り、紙袋の中を見たのですが、
いつこれを参考に見るべきなのか?など分からないのです💦
えーーーヤバくないか?と思っていたら
前任者から電話があり
「一つ渡し忘れがある」との事。
受け取りに行きました。
その時「多分、今何が何か分かってないと思うけど、
やってみたら分かるようになると思う!」というのです。
なるほど…!
信仰と少し似てるな…と思いました。
私たちは、自分で解決できない問題に直面する事が多々あります。
そして主に「どーしたらいいのですかーー??」と
全力で問いかけるのです。
そして「主よ! 助けて下さい‼ この問題から解放して下さい‼」と祈るのです。
このように祈る場合、
私の頭の中は「問題が去る事」を念頭において祈っています。
もしくは「完璧に解決する事」が祈りの成就だと
思って祈るのです。
つまり「主よ! 助けて下さい!」と祈りながら
どのような状態になるのが「助けられた状態なのか」を
勝手に決めているのです。
自分が決めた状態以外は「祈ったのに答えられなかった」という
感情を持ってしまうのです。
…今回の会計、
「え…出来ないかも!? 主よ…‼」と不安になりました。
しかし前任者の「多分、今、何が何か分かってないと思うけど、
やってみたら分かるようになると思う!」という一言で
分かってない状態でもOKなんだ!と安心をしたのです。
私が会計をしないといけない。という事実は変わっていないのです。
しかし、変わったのは、私の心。
主の答えってこんな感じが多いような気がします。
状況は変わらないけれど、
それに対する自分の心が変わる。
状況は変わらないけれど、
その中で適応する
その中で、適応できる自分がいるのです。
主は、問題を取り去るのではなく、
問題があっても適応できる力を与えられる…
確かに、子どもが「コレ、出来ないよ!」と言われたら
寄り添いフォローしながら
親は、子どもに「出来る」という経験をさせたいと思うはず。
子どもが「コレ、出来ないよ!」「これは嫌!」というものを
全て取り去っていたら、
何の成長もない…。
愛するが故、時間がかかっても
子どもがイライラしたとしても
出来るように横からフォローするのが親の役目。
問題は、私が祈りながら、
どのような状態になるのが「祈りの成就」と思うか…です。
自分で祈りのゴールを決めるのを辞めよう…‼
1人で勝手にゴールを決め、
その通りにならないと落胆する…💦
ゴールは主が決められる事。
私は、今日も主を信じよう!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)