身勝手な信仰【イザヤ45:7】

2025年

わたしは光を造り出し、やみを創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを造る者。

イザヤ45:7

聖書通読をしています。

創世記から読み始め、今「ヨハネの黙示録」です。

毎日、黙示録を読むのは難しいです。

何の話をしているのか分からない…

そして「災い」という言葉が多く出てきて、決して楽しく希望を感じる書ではない…

だからあまり読みたくない…

しかし黙示録も、聖書66巻の1巻。

主が伝えたい事なのです。

私たちは、クリスチャンであっても

「聞きたい事だけを聞く」という習慣があるように思います。

「祝福」の話は聞きたいけれど、

「裁き」や「災い」「苦難」という内容は聞きたくない。

「主が私たちを祝福される」というメッセージに心惹かれても

「主の裁き」というタイトルには心が惹かれないのです。

しかし、今日の御言葉を読むと

私たちが信じる主は、

「光」だけでなく「やみ」も創造された方。

「平和」だけでなく「災い」も創造された方。

…どうしてなんだろう。

平和だけでなく、災いまで創造されたなんて…

どうしてかは分かりません。

分かる事はそれが「神の摂理」なんだと思います。

闇や災いを、いたずらに創造されたのではなく

必要として創造された…

しかし、私は「光」「平和」の主を愛しているのです。

その様な主を感じる時に「主の臨在」を感じるのです。

そして

「闇」「災い」が私に近付くと、

私は主が離れたように感じてしまっているのです。

これは身勝手な信仰であり、

私が気に入る部分の主だけを愛してるのではないか…

私は主の反面だけを愛している…

私は、自分の耳と心に喜びを与えてくれる主だけを愛している…

黙示録の読みづらさを感じながら、

私の身勝手な信仰を示されたように思いました。

これからは黙示録も少しずつ、

色々な牧師先生のメッセージを通して

黙示録も知っていこう。

黙示録を含めた聖書66巻…愛していこう…と思いました。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

タイトルとURLをコピーしました