主はどうして私たちを「神の子」とされたんだろう【ヨハネ1:12】

2025年

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

ヨハネ1:12

先日、次男が韓国から帰ってきました。

冬休みから韓国にいる長男のもとへ行っていました。

2人とも日本生まれの日本育ち。

旅行で韓国に行った事はあっても住んだことはありません。

長男は韓国語も出来たし性格的にそれ程心配せず、送り出す事が出来ました。

しかし、次男は韓国語がそれほど十分ではなく、性格的にも心配…

それらを踏まえて、韓国の大学に行くかどうかを行って祈って決める…

という目的で10日程行きました。

長男が住む教会の寮で泊り、教会の礼拝にも出席したり、

中高のキャンプにも参加し、多くの人と交わりの時を持ったようです。

「スッゴク恵まれた‼」と言って帰って来ました。

いつも次男は、アウトリーチや伝道集会などに行くと

「本当に…凄く!恵まれた!」と目をキラキラさせて言います。

しかし、疲れすぎていてバタンキューです。

そして、次の日からは学校生活が忙しく遅くに帰って来ます。

そして帰って来ると、ずっとスマホを見てるのです。

「あのさー ちょっと韓国どうだったか聞かせてよー」と言っても

「ごめん…ちょっと休憩したい…」と言い、

スマホに夢中。

学校の生徒会は、凄く活発に活動をしています。

次男は高校の会長。

毎日凄く忙しいのです。

学校に行く道中も「今日、必ずしないといけないタスクが多すぎる!」と言っています。

学校で凄く頑張っているんだと思います。

だから、家に帰ってきたら、ちょっと息抜きしたい…

ちょっとスマホを見て笑ったり…気分を変えたい。

その気持ちは凄く分かります。

しかし、連日遅くまで活動しているし「早く寝たら?」と思うのです。

そして、色々な話も聞いてみたいのです。

親としては「行ってきたんだから報告してよ」と思ってしまいます。

私の目には、遅くまでスマホを手にダラダラ~としており、

次の日はなかなか起きれない…💦

そんな次男に対して「韓国の話はいつ聞けるの?

その前の能登半島へ行ったアウトリーチの話は一つも聞けてないけど。

夏に福岡もアウトリーチ行ったよね? 写真させ見せてもらってないけど…(笑)」

と嫌味を言うのです。

そして私は心の中で「これ自分の子どもじゃなかったら、イライラしてるだろうな…

家族だから、次男の状況を考慮して大目に見れる… 笑って済ませれるけど…

これ家族じゃなく同じ会社の同僚だったら、

‟行ったら報告って当たり前じゃない?”と感じるかも…」

と思ったのです。

家族だから赦せるし、子どもだから理解し味方でいれる…

そんな事を考えていたら、

あーーー‼ だから主は、私たちを家族と言われたんだ!と思ったのです。

今日の御言葉を見ると

「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々」は

「神の子どもとされる特権をお与えになった」のです。

主は、ご自分を信じた者を単に「赦された者」や「義人」「使徒」「信徒」「弟子」ではなく…

「神の子」とされたのです。

何か不思議ですよね。

イエスさまを直接見て、話しを聞いた時代の人たち。

「イエスさまに会ってみたい!」

「話を聞いてみたい!」「癒しを得たい‼」と思う人は大勢いたと思います。

イエスさまを見れない時代の私たち。

「主と共に過ごしたい」「主に会いたい」と願う人は多いと思います。

しかし、どの時代の人であっても

「あー主と家族になりたい‼」と願う人は少ないのではないか…?

しかし主は、私たちを見て「家族となりたい」と思われているのです。

どうして、主は私たちを使徒や信徒ではなく、

「家族」だと言われるんだろうか…?

多分…スッゴク可愛いんだと思います。

こんな事を思い出しました。

長男が小学校1年に上がり、6歳差の次男は保育園に入ったところ。

長男と保育園にお迎えに行ったのです。

そして長男が次男の教室に入り、私にコソッとこんな事を言いました。

「オンマ!(ママという意味)この教室で弟が一番可愛いな~♡」と。

私が「オンマもそう思う!…でもね…他のお母さんたちは

自分の子どもが一番可愛く見えるんだよ」というと、

長男は呆れた顔をして

「え…それっておかしくない? 誰がどう見ても… 弟が一番可愛い顔してるのに‼」と怒っていました。

実際問題、次男より容姿が優れた子どもは多くいました(笑)

長男の目には、弟は絶対に一番可愛い顔をしているのです。

そう見えるのです。

家族は特別な存在なのです。

私たちが「私はあまり容姿が整っていない…」と思っていたとしても

主の目には、驚く程、綺麗な姿に写っており、

また主の目に写る美が正解なのです。

そして、親が幼子の成長を喜ぶように、

主も、私たちの日々の成長の変化に喜びをもっておられるのです。

「今までは、目先の事しか考えれなかったけど、

私(主)の声を待とうと努力出来るようになった!」とか。

「今までは大嫌いだと思っていた人を理解しようかと、

考えれるようになった!」とか。

私たちの霊的成長を喜ばれておられるんだと思います。

そして、思った通りできなくても、

「主を選ぶ」という事を分かっていながらも

できなかったと気付いた時、

主は子を見る親のような心で私たちを見ておられるんだと思います。

主は、全てをご存知…

もし、「私を信じるならあなた方は私の使徒となる」とかだったら…

信仰が揺れる度に、

自分の信仰の無さを思わされる度に、

私はなんて出来の悪い使徒なんだろう…と

自分のダメな所に目が行き、失格者のように感じるかもしれません。

主は全てをご存知なのです。

人間の弱さをご存知。

私たちを「神の子」として下さり、

「主の家族」として下さる事には本当に感謝‼

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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