私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
Ⅱコリント3:18
段々と寒くなってきました。
いつも車の中で賛美をかけているのですが、
その賛美をクリスマスバージョンに変えました。
運転しながら、寒い時期に生まれたイエスさまの姿や
またマリアが妊婦でありながら長旅を強いられていた事を想像しました。
私はずっとマリアって良いな~と思っていました。
イエスさまの母。
マリアはどうしてこのような大きな祝福を貰う事が出来たんだろう…と考えました。
当時の年齢を考慮すると、マリアは多分10代半ば。
ガブリエルが現われて受胎の告知を受けました。
婚約者がいたのに、
婚前の妊娠は、律法を犯しているのです。
マリアは天使を見て告知されました。
しかし、「天使が現われて…」という話を
誰が信じてくれるでしょうか。
マリアが妊娠を承諾すると…
婚約者のヨセフと結婚できない可能性があります。
社会的に排除された立場になるかもしれません。
両親にさえ、信じてもらえず、
勘当される可能性もあると思います。
マリアの「本当に、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのお言葉どおりこの身になりますように。」という応答…
私たちはこのセリフを何度も読んだり聞いたりで、
よく知っていますが、
マリアは「人生をかけたリスクある選択」をしたのです。
誰一人として味方になって貰えない可能性がある…
と頭をよぎるはずです。
そして、主は本当に素晴らしいのです。
マリアが人生をかけたリスクある選択をした後、
ちゃんとフォローされているのです。
遠い親戚のエリザベツとマリアが会うように導かれているのです。
エリザベツは、マリアのように天使ガブリエルから
受胎告知を告げられ、
高齢でマリアより6カ月程前に妊娠していたのです。
(エリザベツが生んだ子どもは、洗礼者ヨハネ)
マリアと同じ体験をした人のもとに、マリアを送ったのです。
そこで、主は、マリアを勇気づけられ、
喜びをもって胎児との時間を過ごせたと思います。
…しかし、このエリザベツとの出会いは、
マリアの「人生をかけたリスクある選択」をした後に与えられたのです。
主は、リスクある選択だけを、させない…
御心に叶うものを選択をした後、
主が、責任を持って導いて下さるのです…。
そんな事を考えながら、思った事があります。
私は何の犠牲も払わずに、祝福だけを求めているかも…💦
辛く苦しい事は避けたいと望み、
祝福だけを子どものように主に望んでいる…。
そして、
私たちは…主の似姿に似たものに変えられていくもの。
主の似姿…
主は、楽な道を選ばれる方ではなかった。
困難を避け、犠牲を避ける方でもなかった。
朝早くから1人で主に祈り、
夜遅くまで、隣人に寄り添う方。
愛と憐れみに満ちた方。
そして、天の父の御心通りに人生を生きられた方。
神の子でありながら、
誰よりも低くなられた方。
…そう思ったら、
私は何て利己的なんだろう…
何となく「主の似姿に似て行く」という言葉が
どこかキラキラとしたものとして想像している…
立派な…とか、清さとか、義や愛に満ちたとか…
主の似姿に似て行くといって、
そのような思いが私の中に無意識にあるとしたら、
それはどこかで、権力や上に上がりたい、認められたいという
思いがあるんだと思います。
主は低く低くなられたのに…
私は上に上がろうとしている…
しかも、自分は安全な所に留まろうとしながら、
祝福まで望んでいる…
はぁ…💦
私も、主の似姿に習って、
心から謙遜になれますように…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)