主の解決を待つのを辞めます!【哀歌3:22-23】

2024年

私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。あなたの真実は力強い。

哀歌3:22-23

昨日、学校で大きな行事がありました。

PTA代表として参席しました。

学校の卒業生たちも集まったのです。

一番年配の方は、90代…

日本にある韓国の子どもたちが学べる学校として

今でも学校の発展を願っておられるのです。

私は保護者代表として、沢山の人に挨拶をしました。

そして皆さんが言われるのは、今ある学校の状態について💦

一向に変わろうとしない現状。

いつになったら落ち着くんだろう…

学校との話し合う会議では、罵倒されることもあるのです…

保護者の中でも、PTAが矢面に立っている事に

理解し応援してくれる方もいらっしゃいますが、

あまり関心がない方も多くいます。

そんな保護者たちは、騒がしい学校の雰囲気を感じ、苦情や不満を口にされるのです。

簡単に言えば、私は両方に挟まれた状態。

昨日の行事で出会った人生の先輩方は

「一番、難しい時に代表を担ってくれて本当にありがとう」と言って下さいました。

その時に、何となくこんな思いが生じました。

私は今、自分の問題というより、

自分から関わりをもった問題で、

時間的も精神的にも負担が大きいのです。

(代表を断ることも出来たのに、請け負ったから)

そして、難しい立場に追い込まれているのです。

「主よ…(笑) これ、いつ終わりますか?」

「どのような終わり方になりますか?」と、時折思うのです。

誰だって、問題に見舞われたら、

一刻も早い解決を望むものです。

問題は、ない方がいいから…

問題は、自分を苦しめるから…

問題は、精神的に追い込んでくるから…

だから、主に「解決は、いつですか??」と聞きたくなるのです。

私は昨日「主の解決を待つのを辞めよう‼」と思いました。

何故、その様に思ったのかは分からないのですが、

いつか問題が解決した時、

その解決したところに、主が居られるのではないからです。

解決した時だけ、主が共に居られるのではなく、

解決した時だけ、主の御業がなされるのではないからです。

人から罵倒されている時も、主は私と共に居られる。

人から理不尽な扱いを受けている時も、主は私と共に居られるのです。

問題のただ中にいてても、

主は今日も、私と共に居て下さり、私を支えて下さっているのです。

「問題の解決」という先の未来だけを、考え思い、

解決をひたすら待ち、耐えながら生きていたら…

自分の人生が勿体ない…と思ったのです。

今日も、主は私と共に居て下さっているのに。

今日も、主が私に語って下さっているのに。

今日も、主の「今日の恵み」があるのです。

あまり、先に目をやり過ぎると、

今日、主から降り注がれている恵みに気付かないかもしれません。

解決という先に心捕らわれず、

今日、主が共に居て下さり、

今日も、主と共に歩める祝福を感謝しながら楽しもう…

一番、大切なのは、

今、私が主と共に歩むこと。

今、私が主に感謝して生きていること。

今、私が主を愛すること。

私の目に、変わらない日々の中でも、

主は今日も私に手を差し伸べて下さっているのです。

主と共に歩める人生を楽しもう…と思いました!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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