45 また、民衆がみな耳を傾けているときに、イエスは弟子たちにこう言われた。
46 「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが好きで、また会堂の上席や宴会の上座が好きです。
47 また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」1 さてイエスが、目を上げてご覧になると、金持ちが献金箱に献金を投げ入れていた。
2 また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。
3 それでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、ど の人よりもたくさん投げ入れました。
4 みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」ルカ20:45-47、21:1-4
今日、通読した箇所から感じた事です。
イエスさまの話に、民衆がみな耳を傾けていたのです。
想像するだけで、羨ましい…
私もその民衆の1人として混じりたかった…と思います。
イエスさまの言葉を聞き洩らすことなく、
全てを受け取りたい…という
気持ちだったのではないか?と思います。
イエスさまは「律法学者たちには気をつけなさい」と言われました。
気を付けなさい?
2017年度版には「用心しなさい」となっています。
何に気を付けるんだろう?と思ったのです。
律法学者たちが、私たちに何か害を加えたり攻撃してくる訳でもなく…
気を付けろという言葉は、何か身の危険を感じる時に使う言葉。
読み進めると、
律法学者がどのような人物なのか特徴を話されています。
長い衣をまとって歩き回ったり、
広場であいさつされたりすることが好き、
会堂の上席や宴会の上座が好き。
やもめの家を食いつぶし、
見えを飾るために長い祈りをする。
当時の人は、身に着ける着物で身分が分かったようです。
一目見て律法学者だと分かる着物。
それを着て歩き回っていたのです。
人に挨拶するのが好きではなく、
挨拶されるのが好きだと言うのは、受ける立場。
また、会堂の上席や宴会の上座が好きという事から、
礼を尽くされるのが好きだったんだと思います。
自分が律法学者だとアピールする事。
そして重んじられる事に喜びを感じていたんだと思います。
それに対して「気をつけろ」って…何だろう。
多分、私たちの視覚の問題かもしれません。
私たちがそのような姿をしている律法学者を見て、
「立派な人だな」
「あの着物素敵、カッコよく見える」
「皆に尊敬される人物なんだな」と
そう感じてしまっているのです。
無意識で。
目から入った情報で勝手にそのように人を判断してしまっているんだと思うのです。
私たちの目に写るものが事実だとは限らない…
そして、
律法学者は「やもめの家を食いつぶす」のです。
律法学者の ‟あるある” なのかもしれません。
何となくお金持ちから搾取する方が一度で多くを得れるように思いますが。
律法学者たちはやもめを搾取するのです。
当たり前のように、狙うは、やもめ…なんだと思います。
私たちが無意識に「立派な人」と感じてしまうように、
律法学者も無意識に「やもめを搾取」するんだと思うのです。
続きを読むと、
お金持ちと貧しいやもめの献金の話が続きます。
もし私たちが、お金持ちの人が大金を献金しているのを見たら…
「すごっ…」と思い、
何となく、主に沢山捧げているように感じてしまいます。
信仰があるから、沢山捧げる事が出来るんだと
私ならそう感じてしまいます。
貧しいやもめは、レプタ銅貨2つ。
当時の貨幣の最小単位がレプタだそうです。
という事は「2円」という感覚ではないでしょうか。
2円を献金している人を見たら…
どう感じるでしょうか。
私だったら…
「(2円を)わざわざ…献金しに?」って思ってしまうような気がします。
…私たちの視覚に「立派な人」と見える人でも、
主は「こういう人たちは人一倍きびしい罰を受ける」と言われています。
私たちの目に、弱く力がなく、ある意味みすぼらしく見える献金を、
主は「どの人よりも沢山投げ入れました」と認められるのです。
私たちは気を付けないといけないのです。
目に入るもの、情報、状況が全てではないし、
私たちは、自分の目から入るものを
正しく評価できない存在だということ。
自分がどう感じるかが問題ではなく、
主がどの様に思われているか…に重きを置くべき…
祈りなしでは、正しい見方をする事は不可能です。
主の目で物事を見て感じる事が出来ますように…
今日も祈ります。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)