主が私たちを試練の中に送る時【エレミヤ29:4-5】

2024年

イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。「エルサレムからバビロンわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。
家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。

エレミヤ29:4-5

自宅の近くに、保育園があります。

朝、お母さんお父さんは、小さい子どもを自転車に乗せ、

慌ただしく保育園へ走っています。

そして時々、保育園の前で泣き崩れている子どもを見かけます。

そのような姿を見る度に、

長男を3歳になってから保育園に入れた時のことを思い出します。

小さい時から外交的だったので、

あまり心配せず、楽しむだろう…と思っていたのですが、

初めて行った日、ぐずったのです。

そして先生が「お母さん、大丈夫ですよ。いってらっしゃい」と言ってくれました。

保育園を出て、しばらくそこを離れる事が出来ずに、

子どもに見えないように、中の様子を見ていました。

ずっと先生が膝に座らせ話をしてくれていました。

そして9時になり、幼児は各教室に入ります。

しかし、長男は1人廊下で座り泣いていたのです。

先生は、長男が自分から教室に入って来るようにという

意図を持っておられたんだと思います。

しかし、1人廊下で座っている長男の姿が

可哀相に見えたのです。

しかし、ここで私が長男の所へ行く訳には行きません…

心が痛みながらも、主に祈り、その場を離れました。

小さな子どもにとっては、大きな試練です。

どうして家で過ごせないんだろう?

どうして知らない人と過ごさないといけないんだろう?

僕はママが良いのに

パパとママはどうして、僕を保育園に入れたんだろう?

小さいなりに、色々と考えると思います。

家で過ごす方が良いのです。

家でいれば、好きなものだけを食べれます。

好きな遊びをする事が出来ます。

お友達に、意地悪される事もありません。

出来ない縄跳びをさせられる事もないのです。

家でいる事が子どもにとっては幸せであっても、

親は子どもに沢山の事を学んでもらおうと、

外の世界に出すのです。

保育園に行きたくない‼と訴えている子どもを見ながら、

聖書の話を思い出しました。

イスラエルの民はバベロンに捕虜となった話です。

民に故郷から離され、捕虜となった地で

主は民に、こう言われたのです。

「家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。」

捕虜となった地に家を建てて、住みなさい。

そして畑を作って、その実を食べなさい…

自分の家を建てるのです。

実がなるまで相当時間がかかります。

簡単には故郷には帰れないんだよ。と言う意味です。

小さな子どもが、家を出て、長時間、

知らない人と一緒にいないといけないのか…

理解ができません。

しかし、親には意図があるのです。

イスラエルの民は、

自分たちが国を失い、捕虜となった時、

主が「私が救おう!」と言って下さる事を期待したはずです。

しかし、主は民が期待する様な事を言われませんでした。

反対に「そこに留まりなさい」

「そこで生きて行きなさい」と言われたのです。

私たちには分からないけれど、

主には意図があるのです。

民はおよそ50年間、捕虜としてバビロンにいたのです。

これは主が送られたのです。

どうしてでしょうか。

深い意図は分かり知れませんが、

分かっている事は、

民は試練を感じているという事。

そして主は、試練を感じている民だけを送らなかったのです。

主も共にバビロンにおられたのです。

私たちも、難しい渦中を過ごす事があります。

居心地の悪い環境に、身を置かないといけない時があります。

今、自分が置かれている場所は、

主が与えられた場所であり、

主が送られた場所であり、

主が共に居て下さる場所なのです。

主は、私たちを学校に、職場に、

あるコミュニティーに、教会に…

または試練の中に、私たちを送られます。

しかし、私一人を送り出すのではなく、

主が共に同行して下さるのです。

主は意図を持ち試練を与えられ、

それを取り去ろう!とは言われず、

私が共にいる!と言われる方なのです…

今日も、主は私たちと共に居て下さる方なのです。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

タイトルとURLをコピーしました