主が私を本当に愛して下さっている証拠【イザヤ43:4】

2024年

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。

イザヤ43:4

次男が通っている学校の件の会議中に、

数年前の中学生の問題について話しました。

当時、中学2年生の女の子。

小学校の時から問題が多く、

同じクラスの友達の財布をとったり…

激しいケンカが絶えない子どもでした。

そして中学生になって、その性格はパワーアップし、

友達を自分の家に呼び、お酒やたばこを勧めたそうです。

先生に対しても「お前は黙れ‼」と言い、

そして授業中に先生に注意されると

席に座ったまま、泣いて警察を呼んだそうです…💦

このようにして警察がこの子どもによって

何度も学校に来たそうです。

「言葉の暴力を受けた」と言う主張。

そして女の子同士でも掴み合いのケンカを繰り広げ…

学校が保護者を呼んでも、親は絶対に謝る事はなく、

子どものうそを信じて、

自分の子が被害者だと主張していたそうです。

結局、度重なる問題で退学になりました。

この親は、自分の子どもを「愛している」と言うかもしれません。

愛しているから、子どもの言う事を信じている。というかもしれません。

しかし、これは本当に子どもを愛しているのでしょうか。

娘のしたいように、娘の思い通りにする事が

この女の子にとって良い事なのでしょうか。

このまま過ごせば、この子は誠実な人へと成長できるのでしょうか。

想像ですが、

問題を繰り返し、真の友達を作る事が難しくなり、

どうして自分はこんなに人に理解してもらえないんだろう…

自分の周りには良い人がいない…

人生に不満を感じて生きて行くように思います。

簡単に言えば、幸せだと感じる瞬間より、

いつも苦しく、イライラばかりを感じるそのような人生にならないでしょうか。

子どもがしたいようにさせてあげるのが

本当の愛ではないのです。

子ども同士ケンカをしたのであれば、

自分の子どもの間違えている点を気付かせてあげ、

謝るという事を教えないといけないのです。

子どもがタバコやお酒に興味を持ったとしても、

それを許可してはいけないのです。

子どもが切に望んだとしても、

親の目に「それは違う」と思えば

絶対に与えてはいけないのです。

子どもが望む事を与える事が「本当の愛」ではないのです。

与えないという事が「本当の愛」でもあるのです。

親がそうであるように、天の父なる神も同じです。

私たちの望む事を与えるのが、

神さまの本当の愛ではないのです。

私たちが、切に主に求めたとしても、

主の目に、それが「良いもの」でないのであれば、

それを私たちに与えない事が、

本当に私たちを大切に思って下さっている「本当の愛」なのです。

…反対に、私たちが望むものを、

何でも直ぐに与えてくるとしたら、

それは、本当の愛ではないのです。

一次的な幸せ感を与えるだけで、

それが本当に私にとって最高に良いものではない可能性があります。

それを手に入れる事によって、その人の人生がこれからどうなるか…

どのような道を歩むことになるのか…

という事を考えていない。

一次的な幸せだけを与え、

将来的な幸せを考えていないからです。

という事は、

自分の切に願う思いがきかれない…というのは

主の本当の愛だと思うのです。

中学生の女の子が

「お酒を飲んで見たい! 外でではなく家でだよ!

誰にも迷惑かけないし、少しだけ飲んで見たい!

だって大人はお酒を飲めば気持ちよくなるんでしょ?

私も体験してみたい!」

子どもなりの考えがあり、

子どもなりに自分の願いを叶えながら

周りにも配慮した考えかもしれません。

「少し位いいじゃない!」と主張するかもしれません。

しかし、この女の子が「少しの体験」で済む可能性は低いのです。

これをきっかけに、何度となく家に友達を呼んで

このような集まりを持つようになるのは目に見えています。

そして、中学生という成長過程に、アルコールが必要ないのです。

反対に、ハメを外してしまったら、害にしかならないのです。

そして数年後にはアル中になる可能性もあります。

人生がお酒に酔って崩れていくのを感じます。

しかし、興味を持った女の子に、そこまでの想像力はないのです。

女の子には自分なりの「少し位いいじゃない!」という理由があるのです。

この子に、一次的な喜びを与えてしまったら…ダメなのです。

この子を本当に大切に思い、本当に愛しているのであれば、

「少しでもダメだ」と言わないといけないのです。

…今、主が私の祈りを聞いて下さらないのは、

一次的な幸せを与え、私たちを喜ばそうとしているのではなく、

将来に大きな別の計画を持っておられるからだと思うのです。

ですから、

主が私の切なる祈りに答えて下さらないのは、

私を本当に愛して下さっているという「証拠」かもしれません‼

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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