キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。
そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。
彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。
道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行いをむさぼるようになっています。エペソ4:16-19
昨日、病院の夜勤勤務だったのですが、
一言も言葉を発しない18歳の高校生の男の子が入院していました。
声を出せないのではなく、話さないのです。
個室に入り、ずっとゲームをしたり、スマホを触って時間を過ごしています。
診察時には、お母さんが病院へ来られます。
何か自分の思いと異なる事があると、
お母さんにLINEをしているのか、
お母さんから病棟へ連絡が入り「〇〇して下さい」などと伝えられるのです。
先日、「今日は検査があるので、これに着替えて下さい」と
検査着を渡しました。
すると、直ぐお母さんから電話が。
「検査着は嫌だと言ってるので普段のパジャマで良いですか?」と。
そして「このような質問は、子どもではなく私の方に連絡下さい!」と言われました。
夜勤のひと時の休憩で
「Aくん、これからどうするんだろう…
いつまでもお母さんと共に生きて行くわけにはいかないだろうに…
就職とかしたら、どの様にコミュニケーション取るのかな?と。
今までお母さんが、子どもの心配し、
先回りをして色んな事を解決してこられたんだろうな…
Aくんは「自分で物事を解決していきたい…」と思ってるんだろうか?
お母さんにとって、Aくんは大切で、
子どもが困らないように…と言う思いが大きすぎて、
行き過ぎてしっまったのではないか…
もっと親が関与しない家庭で育っていたとしたら、
もっと自分でコミュニケーションを取れる能力が
鍛えられていただろうに…と話していました。
…仕事の帰り道、A君のことが気になりながら帰っていました。
すると、ふと「狼に育てられた子ども」の話を思い出しました。
ある経緯があって、幼い時からもしくは赤子の時から
動物に育てられた人がいるという話を聞いた事があります。
狼や、チンパンジーに育てられた子もいるそうです。
その子どもたちは、日本語を話す事は出来ず、に
四足歩行で歩き、遠吠え、
犬のように口でご飯を食べたりするのです。
この子たちは、自分が狼やチンパンジーだと思っているのです。
人間の姿をしながらも、
行動も、心も、言葉も、思いまで狼なのです。
誰に育てられるかによって、違いが出てくるのです。
狼に育てられた子も、Aくんも…私も。
どことなく、主との関係に似てるように思います。
人間の教育を受けずに大きくなり、動物のように生きている子ども。
人間の世界があるという事さえ、知らないのです。
それと同じように、
私たちも、主の中で育っていないのですから、
主が本来望まれている姿ではない可能性があります。
主の価値観や、主の常識、主の思いとは
違った物を身に付けていると思います。
主が本来、私たちの望まれている姿で生きて行きたい…
努力で主の似姿に変えられるものではありませんが、
努力も必要だと思います。
努力なしに変わる事は難しいと思います。
毎日、主との時間をもとうとする努力
毎日、主に祈る時間を持つ努力
毎日、主を賛美する時間を持つ努力
神の子らしく…生きて行きたい…!!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)