しかし、イエスのうわさはますます広まり、大勢の群れが、話を聞く為に、また病気を癒してもらう為に集まって来た。
だが、イエスご自身は、寂しい所に退いて祈っておられた。
ルカ5:15-16
私は聖書を読んだり、祈りの時間を通してよく思う事があります。
私の考えや思い、判断など・・主と正反対だな・・と。
・まず、「隣人を自分のように愛しなさい」と言うのも、条件なく愛しなさいと言われています。これって本当に難しい事です。
相手が柔和で良心的な方だと、それほど難しくないかもしれません。しかし主は相手を限定していません。自分の中に、隣人を愛する、しかも自分の用に・・という思いが欠けています。
・「貧しい人は幸いです」
経済的な問題と言うより、自分の心の中に寄り頼むべきもの、支えや誇りとなるものは何一つない状態の事です。
これは不安しかありません。でも主は「幸いだ」と言うのです。
・「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」
全く持ってない発想です。
・パウロの様な極悪非道な人物を用いられる。
私が選ぶのであれば、品行方正で他の人からも一目置かれる人を弟子とすると思います。
しかし実際、パウロなしでは、キリスト教は世界宗教にはならなかったといえるほど、キリスト教史においてもっとも重要な人物の1人となりました。
他にも、自分とは正反対の思考だな・・と思う点が沢山あります。
今日の聖書の箇所も正反対だな・・と思いました。
イエスさまは、寂しい所に退いて祈っておられた・・のですが、
イエスさまはこの祈りの前に、全身ツァラアトの人を癒されました。その噂を聞いた大勢の群れが、イエスさまの話を聞く為に、また、病気を癒してもらう為に集まって来たのです。
憐れみ深いイエスさまが、「疲れた」という理由で群衆に話を辞めたり、癒しを断ったりしないと思います。
イエスさまは言葉一つで癒しを行えます。
群衆に向かって「癒されよ」と言えば、集まって来た病を持つ者は癒されるはずです。
しかし、イエスさまの目的は福音を伝えることであり、一人一人が主と出会う事なのです。
癒しは福音を伝える過程に過ぎないのです。
ですから、一人一人と向き合い時間を取られたのです。この上なく大忙しです。
しかし、群衆から故意に離れ「祈り」の為に時間を取っていたのです。
私なら、単に目の前に自分の仕事が溜まれば、焦って仕事を片付ける事に集中してしまいます。
一息付く為の休憩ではなく、祈りの為に時間を取られていたのです。
16節に「だが、イエスご自身は、寂しい所に退いて祈っておられた」とあります。
「だが」という言葉に心が止まりました。
「だが」と言うのは、
イエスさまは大変忙しかった「にもかからわらず」、人里離れた寂しい所に退いて祈っておられたという内容です。
イエスさまが祈りをどれ程、重んじたかが示されている大切な「だが」です。
イエスさまは、いつも忙しい時ほど、祈りの時間を大切に重んじられていました。
イエスさまの姿勢を見て分かる事は、「祈り」とは、
時間がない、しなけらばならない事が沢山ある・・という時間的な問題ではなく、「優先順位」の問題です。
主との関係を、週末だけの関係にするのは勿体ない関係なのです。
一日にしなければならない沢山の事を全てやり終え、クタクタになってから「祈る」のではなく、
イエスさまは、朝早くから祈りの時間を持たれたように、
時間を決め主と向き合う時間を持つ・・
主と個人的に会える時間を持つ・・
初めから長く祈るのは難しいし集中できないと思います。
5分~スタートしましょう!
祈りは・・自分の人生を大きく変える事が出来ます!
今までとは違う人生になります!
一日の全ての終わりに祈る時間を持つのではなく、一日のスタートの始めに祈りの時間を持って下さい。
これが優先順位1番の祈りです。
主に予約を入れて下さい!
「主よ。私は〇時にあなたとの祈りの時間を持ちたいです」と。
主はその時間、私たちが祈りに来るのを待ってくださいます。
予約を入れ、主を待たせないように・・待ちぼうけさせないように・・
特別な祈りの時間を経験してください。
自分の信仰が変わるのを経験できます!
今日、信仰の変化を経験するスタートの日となりますように!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」