「ChatGPT」って知っていますか?【箴言2:1-6】

2023年

わが子よ。もしあなたが、私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちにたくわえ、

あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を英知に向けるなら、

もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、

銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、

そのとき、あなたは、主を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。

主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。

箴言2:1-6

「ChatGPT」が注目を浴びています。

2022年11月に公開されたチャットボット。幅広い分野の質問に詳細な回答を生成できるようです。

「へ~そんなのが開発されたのか・・なんか今までにない異次元なものだなあ~」と思いました。

私は、「ChatGPT」の話を聞いても、そこで止まってしまっています。

自分が「ChatGPT」を体験しようとせず、それに関する本や動画を見ようともせず、「そんな凄いものが出来た・・世の中にどの様な影響を及ぼすんだろう・・」と、思っているだけです。

ネットで何かを検索している時に「ChatGPT」の文字を目にしたら、チラッと見たり聞いたりする程度なのです。

私の「ChatGPT」に対する興味・・もっと知ろうとしない思い。それに対する情報を自分の物にしようとしない行動力・・

「ChatGPT」がどういった物なのかと単純にしか知らない私と、実際に体験し活用している人とでは、大きな違いがあります。

何かを見たり感じた時、体験している人は、それを「ChatGPT」ならどう答えるだろうか・・という発想が働きます。

また一つの発想をもとに、

「もっとこんな質問をしたらどう答えるだろうか?」

「これをこんな風に活用したらどうだろうか・・」と

発想が発想を呼び、自分の思考の世界が広まるのです。

そして実際に「ChatGPT」を通して調べたり考えたりするのです。

基本的情報しか知らない私より、色々な物事を見たり考えたりする時に、「ChatGPT」の存在を持ちながら、活用しながら生きていけるのです。

新しい発見もあるでしょうし、感動もあると思います。

それは「ChatGPT」がどういった物かという事をよく知っており、「自分の生活に適用」出来ているからです。

そんな自分。「もっと知ろうとしない自分の姿」を通して、主に対する信仰も同じかもしれないと思いました。

イエス・キリストに対しても、

「へー、、イエス・キリストという神がいるのか。愛の神さまで、私たちの罪の為に十字架に架かって死んで下さったんだ。三日目に復活されたんだ。イエス・キリストを信じる人は死んでも生きるのか」

という情報だけだったらどうでしょうか。

それだけを知っており、信仰生活をしたらどうでしょうか。

生活しながら、人生を生きながら、

何か困った時、困難を覚えた時、

人生に行き詰った時、道を失った時、

悲しい時、嬉しい時、

感動した時、傷ついた時・・・

その信仰は役に立つでしょうか。

「主を知っていく」と言う事なしに、私たちの信仰は成長しないのです。

人生の岐路に立たされた時、その基本的情報だけで自分の人生の助けになるでしょうか。

その情報だけで、慰めを得れるでしょうか。それだけで自分の進むべき道を悟る事ができるでしょうか。

「主を知っていく」と言う事なしに、主を適用した人生にはならないのです。

「主を知っていく」とは、礼拝を通して、日々のデボーションを通して知っていくのです。

自分の信仰が形式的なものになっていないか、

絵に描いた餅ではないか・・

時折、立ち止まり考えてみる事は良い事だと思います。

自分の人生に主を適用出来ていなければ、今の信仰は形式的なものになってしまっているかもしれません・・

主がどういった神さまなのかを知らずに信仰するのは、凄く勿体なく損をしている様に思います。

「ChatGPT」を体験し知って行けば、知っている分だけ、自分の生活に適用できるように、

主を知って行けば知っていくほど、自分の人生に主が共に居られるのを感じ、人生が豊かになるのです。

人生の意味を見つけ、感じる事が出来るのです。

今日も、もっともっと主を知っていきたいです。

主を知っていき、皆さまの人生がもっと豊かなものとなりますように・・・

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