私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。
ホセア6:3
信仰生活をするにあたって、大切な事は何でしょうか。
聖書を読む事でしょうか。祈る事? 賛美? 日々のデボーション?
それらは、何の為にするのでしょうか。
単に主を忘れず覚える為にデボーションをするのでしょうか?
それとも毎日聖書を読み、祈る時間を持てば、罪や誘惑などから守られるからでしょうか。
教会で、デボーションを勧められると思います。どうしてデボーションは必要なのでしょうか。
デボーションをしている時(時期)は、
「平安な日々が多かった」
「日々、恵みを感じれていた」
「日々、主の守りを感じれていた」
「何となく心が落ち着くから」・・と言われる方も多いと思います。
私たちの信仰は何処に向かうべきでしょうか。
イエス・キリストを救い主だと信じるだけではダメなのでしょうか。
「イエス・キリストは私の救い主であり、私の罪の為に十字架に架かり、復活された。私はイエス・キリストを信じる」と告白するだけではダメなのでしょうか。
もちろん、信じるだけで救われます。
しかし、それで満足してしまって良いのでしょうか。
デボーションの事を「QT」とも言います。「Quiet Time(静かな時間)」の略です。
主との静かな時間を持つ・・という意味です。QTは聖書を読み、祈り賛美する時間の事です。
このQTの時間は何の為の時間なのでしょうか。
QTは、日常の忙しさを横に置き、主との交わりの時間です。
私たちが主を知っていく為の時間なのです。
主はどの様なお方なのか。
どのように偉大なお方なのか。
私にとって主はどういったお方なのか。
「主を知っていく」という目的が一番であるべきだと思います。
それらに付随して、守りを感じたり、平安に満たされたりすると思います。
「主を知っていく」と言うのは、終わりがなく完了がないのです。人間が主の全てを把握する事はできないからです。
主を知っていく事により、信仰は成長します。
主を知っていく事により、信仰が簡単に揺れ動かされなくなります。
主を知っていく事により、自分の人生の意味、これからの主の計画を知る事が出来るのです。
主を知っていく事により、隣人を愛する事ができるのです。
主を知っていく事により、敵を許す事が出来るのです。
主を知っていく事により、謙遜になります。
私たちは日々の信仰生活の中で、色々な考えや思い、問題に遭遇します。
それら問題やQTを通して、主を知っていき、主を体験する事を繰り返すことにより、信仰が成長し揺れ動かされないものとなるのです。
しかし、QTの時間を持てば、皆が主を知っていく訳ではないのです💦
主の前で「へりくだる」思いがなく、主を知っていく事はできないのです。
へりくだるとは、内面的な問題です。主の前で低くなる事です。
主の前では自分が小さく力がない者に過ぎないと知る事です。
自己中心的な考え方を持たないという事です。
聖霊さまに知恵や導きを求め、御言葉に従おうとする心です。
主日の礼拝・・・凄く恵まれる日もあれば、余り恵まれない日・・ありませんか?
どの様な日は恵まれ、どの様な日は余り恵まれない日なのでしょうか。
「今日は恵まれた!」と感じる日は、まるで自分の事を言われているように感じる日なのです。
今、自分が置かれている状況や問題に、ピッタリくるメッセージだったのです。
「今日は余り恵まれなかった」と感じる日は、メッセージが自分には当てはまらなかったからです。
主が「私に」語って下さっているという意識が低いと、自分には当てはまらないのです。
礼拝後、「今日のメッセージは良かった。夫に聞かせたいメッセージだった」という声を聞いたりします。
いくら良いメッセージだとしても、その夫も「自分に語られている」と心を開いて聞かない限り、メッセージは心に響かないのです。
説教は、誰々に聞かせたいメッセージ・・・ではなく、今聞いているメッセージは、他の誰かへのものではなく、
主は「私に」語られているメッセージなのだと言うへりくだる思いがないと、恵みとして受け取る事が出来ないのです。
毎日のQTも同じです。
「主よ。どうか私に語って下さい」と言うヘリくだりの思いなしに、主を知っていく事は出来ないのです。
主を知っていくというのは、主が「どの様に偉大なのか」を知っていくという意味です。
主が偉大だと感じれば感じるほど、信仰は成長するのです。
主が偉大だと感じれば感じるほど、私たちは主と共に歩む人生を選択したくなるのです。
主が偉大だと感じれば感じるほど、謙遜になりへりくだる事が出来るのです。
「今日も主を知りたい」という目的をしっかり持ち、
日々のQTや、主日の礼拝を捧げたいと思います。
今日も、主を感じ、主を知っていく一日となりますように・・・