信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
へブル11:6
3学期の終業式の日、次男が今まで教会に行った事がない友達と話しているのを聞きました。
次男が「来年の目標なにか決めた?」と聞き、友達か「えー-そんなの決めてるの?」
次男が「俺は来年は賛美リーダーになりたい!」友達「なにそれ?」と言う会話。
これはまだ次男が幼いからなのか、それともワザと話をしているのか。分かりませんが、教会に一度も行った事がない友達にも、教会の話を普通によくします。
次男は教会の中高生のクラスの賛美チームに入っています。春から高校生になるので、賛美リーダーになりたいな・・と思ったようです。
私にとっては、ちょっと意外でした。どちらかと言えば、自ら先頭に立つタイプではなく、恥ずかしがるタイプだと思っていたからです。
そして、そんな来年の目標を口にした1週間後の年末30日、中高生の担当の牧師先生から次男に連絡がありました。「1月1日の礼拝の賛美リードできる人が居なくて、賛美リーダー、証、代表の祈りして!」と、思ってもない連絡が来ました。
次男は喜びを感じつつ、急に賛美リーダー? 臨時とは言え、さっそく次男が祈っていた事が叶えられたのです。
「えー--4月以降の高校生になってからって思ってたのに、神さま早くない? しかも1月1日の礼拝でって、最速すぎじゃない? 神さまは何で急ぐ~~? 神さまって慌てん坊~?」と。
そこから、賛美の選曲を悩んだり、証しを書いたり。忙しくなりました。
「代表の祈り・・どうしたらいい?」と聞かれ、思い出した事がありました。
私は昔、韓国で神学校に行こうと思い留学しました。語学学校に1年通い、そして神学校へ。
その時に所属しサポートをしてくれていた韓国の教会は、ソウルにあるとても大きな教会でした。
担任牧師先生をはじめ、副牧師先生が6人。そして女性の伝道師先生12名。教会の事務の方も10名。教会の警備勤務の人たち、教会の食堂で働く人々。また、神学生は学生伝道師として扱われ、平日は学校へ行き、週末は教会で沢山の奉仕をします。神学生の伝道師も8名いました。私もこの中に入っていました。
そして、毎週土曜日、教会で働く上記の人たちが集まり、週に一回会議があります。この会議は誰もが背筋を伸ばして座り、緊張感が張り巡らされており、私には負担を感じる時間でした。
そして、その会議が始まる前に賛美をし、そして一人が席から立ち、代表のお祈りをしてから会議が始まるのです。
この代表のお祈りは、担任牧師以外の人が順番に回ってきます。私にも回って来るのです💦
一ヶ月後に、私の順番が回って来ると分かった時から、すごく緊張しました。外国人は私だけです。そして、韓国語も下手なのです。
初めて代表の祈りをする為に、凄く祈り準備をしました。なんて祈ったら良いのか・・・考えれば考えるほど焦り緊張するのです。
他の神学生に相談したら、「紙に書いたらいいよ!」と教えてもらい、何度も何度も書き直しを繰り返し、代表の祈りを準備しました。
そして・・・当日! 緊張がマックスに(笑) 賛美が終わり、代表の祈りの為に私が席から立ち上がると、皆が私の顔見て、少し笑いました。変な笑いではなく、あ・・韓国語での祈りって大変だろうに・・という笑いです。
1カ月、何度も何度も聖書の上に祈りの紙を置いて、立って声を出して祈る練習をしました。
祈り終わると・・皆が少し「へ~!」と言った声がこぼれました。担任牧師先生は、普段、代表の祈りの後、その祈りについてコメントはしません。でもこの時は「外国人でも、韓国語が下手でも、こんなに祈れるのを皆聞いたか? 祈って準備したんだな。それが分かる祈りだった」と言ってくれました。
凄く安堵し、心の中で主に感謝しました。
そして、1年後・・・また代表の祈りの順番が回って来たのです💦
この時、私の心はどうだったかと言うと、「あ・・嫌だな~またか・・💦」と言う思い。
どちらかと言えば、面倒だな・・また時間かかる・・と言う思い。
そして、代表の祈りに対して祈っていても、面倒だな・・という思いが無くなる事はなく、結局は1年前に書いた祈りの紙を探しました。
私の心の中は「1年前だし、あの時、良い反応を皆が示してくれたし・・ 誰も1年前の私の祈りなんて覚えてはいないだろう・・」と思っていました。
そして、祈りの順番が来る前に数回祈りの練習をしました。
当日、ドキドキしながらも祈りました。担任牧師先生からのコメントはなく無事に過ぎ去りました。
見た目は問題なく無事に終わったのですが、祈り終わった瞬間にすぐに感じた事・・・
「私は、空っぽの祈りをしてしまった・・」という思いです。
祈り終わって、私の思いは主を含む、誰の心にも響かない祈りだった・・
魂からの祈りを口から出したのではなく、口先からだけ出た祈りだった・・・
義務的な、心が伴わない祈りだった・・・
1年前と、1年後の祈りの内容は全く同じです。
1年前の祈りの紙を持って捧げたからです。
「あ・・・・・・💦 今の私は、カインとアベルのカインだ・・」
カインとアベルは、それぞれが主に捧げものをしました。しかし主は、心から捧げものをしたアベルの捧げものだけを目に留められました。
私は、祈り終わってすぐ、そんな祈りを沢山の人の前で、代表の祈りとして捧げた事が、恥ずかしく思いました。そして会議後に悔い改めをしました。
祈った内容は同じです。紙に書いたものですから、一音一句変えた所はないのです。
祈りって・・・何を祈るかも重要だけれど、どのような思いを持って祈るかがもっと重要。
そして、主は祈りに対する私たちの姿勢、心を見ておられるという事を深く感じました。
こんなからっぽの祈り・・・しかも人前で。。しかも代表の祈りとして捧げてしまった・・
「今、感じている恥ずかしい思いはずっと記憶しておこう・・」と思いました。
祈りに対して学べた瞬間でもありました。
もう、そのような祈りを捧げる事がないように・・!
今日も、主に喜ばれる、心からの祈りを捧げたいと思います。
皆さまにとっても、良き祈りの一日となりますように!!