もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。
エステル4:14
聖書の中に女の人の名前が用いられた書物は、「ルツ記」と「エステル記」だけです。
そして、聖書の中の2つの書物だけ「主」や「神」という言葉が存在しない書物があります。
「雅歌」と「エステル記」です。
神さまの事が書かれているはずの聖書に、「主」や「神」という言葉が出てこないって不思議ですよね。(雅歌は愛のポエム、エステル記は神の摂理が書かれていると言われています)
エステル記の中で今日の御言葉が好きです。
エステル記の主人公エステルは、ユダヤ人で両親を早く亡くし、いとこのモルデカイに娘として引き取られました。
ある日、ペルシアの王様であるクセルクセス1世は王妃を失脚させ、新たな王妃探しを始めました。
王様は誰にもまして、容姿も心も美しいエステルを気に入り王妃としました。
王の宰相であるハマンは、自分にひざまずかないモルデカイに腹を立て、全てのユダヤ人を滅ぼそうと企てました。
ユダヤ人は絶望しました。モルデカイはエステルに王様にユダヤ人を救うよう、王様に願い出て欲しいと話します。
しかし当時は、王の妻であっても許可もなく王様に会うというのは死刑になったのです。
エステルにとっても、窮地に立たされたのです。王様に願い出て命令を取り消してもらわなければ、ユダヤ人は滅亡するのです。しかし、自分の命をかけて王様に願い出なければなりません。
その時に、モルデカイがエステルに言った言葉が、今日の御言葉です。
エステルはモルデカイに、ユダヤ人は三日三晩断食するように伝え、自分も女官と共に断食をし、断食後に王様に告げに行きました。
王妃に選ばれた自分もユダヤ人であるという事。ハマンが今、殺そうとしているモルテガイは過去に王様の命を救った者である事。ユダヤ人を滅ぼさないように求めたのです。
エステルは自分の命をかけて、ユダヤ人を守る行動を選択しました。
結果、王はハマンの命令を取り消し、悪事を働いたハマンを処刑しました。
エステルが決断できたモルデカイの言葉。それが今日の御言葉です。
「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
このモルデカイの言った言葉が、「主の心」「主の思い」だと思います。
「私はあなたを無理に遣わそうとはしない。あなたが私に従わなくても、私は他を用いて計画を成す事はできる。でも何故あなたがそこに置かれているのか考えてごらん」
そんなことを言われたら・・・
「主よ。私はここにいます。私を用いて下さい・・」と答えたくなります・・・
主は私たちを無理強いさせません。「従う」という選択肢も与えて下さるし、「従わない」という選択肢も同時に与えて下さいます。
エステル記を読むと、
今自分は何処に立っているのか。どこに存在しているのか。考えさせられます。
私は、日本に住むことが与えられています。韓国人の夫が与えらえています。兄弟も与えられています。子どもが与えれています。子どもを通し学校というコミュニティを持つことが出来ています。
教会というコミュニティも与えられています。友達が与えられています。韓国にも友達が与えれています。
健康も与えられています。韓国語も与えられています。パソコンも必要最低限出来ます。車の運転も出来ます。住む家も与えられています。
自分を誇示することなく与えられているもの、主が必要とされる時、いつでも用いられるように、主の御声を聞き洩らさないように、心の準備をしたいと思います。
エステルは謙遜で、力強く、従順な者でした。
エステルを通して、人間的に見て最悪な状況でも人々を思いやり、へりくだり、自分に出来る最大限を用いて歩むなら、主は私たちを用いて下さり、道を切り開いて下さるのです!
今日も、感謝を持って主と共に歩む1日となりますように・・・