預言者のともがらの妻のひとりがエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは、主を恐れておりました。ところが、貸し主が来て、私のふたりの子どもを自分の奴隷にしようとしております。」
エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」彼女は答えた。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」
すると、彼は言った。「外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。
家に入ったなら、あなたと子どもたちのうしろの戸を閉じなさい。そのすべての器に油をつぎなさい。いっぱいになったものはわきに置きなさい。」
そこで、彼女は彼のもとから去り、子どもたちといっしょにうしろの戸を閉じ、子どもたちが次々に彼女のところに持って来る器に油をついだ。
器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。
Ⅱ列王記4:1-6
片づけをしていたら、昔の写真が出てきました。
こうなると片づけは中断され、昔の写真を見入ってしまいます。
その中に、Youth With A Mission(YWAM)というキリスト教の宣教団体の弟子訓練コースに居ていた時の写真がありました。
懐かしく見ていて思い出した事がありました。
この弟子訓練コースは、始め3カ月は内的治癒(心の傷の癒しの時間)や聖書の学び、宣教について学びます。また後3カ月のアウトリーチ(伝道旅行)に向けて、言葉のない劇(セリフが全くない劇ですが福音を伝えれる内容になっています)や語学を学んだりしました。
そして後半3カ月はアウトリーチで、韓国・ベトナム・カンボジアへ行きました。
全ての過程を経て、日本に帰国し「修了式」をしたのです。この弟子訓練に参加した人の家族や友達(未信者が殆ど)に来てもらうように招待のカードを送りました。
礼拝を通して修了式を行い、賛美や言葉のない福音を伝える劇をして、来てくださった方に伝道するのです。
この時、何人来てくれるか、全く想像が出来ないのです。招待のカードを送った相手は、全く教会へ行った事がない人ばかりです。
しかも、このYWAMは6カ月間、仕事を辞め、自宅から離れ共同生活です。全く教会を知らない人から見たら、違和感を感じたと思います。
ここで何をして過ごしたのか・・あまり想像が出来ていないと思います。
どれぐらいの人が来てくれるのか、食事はどれ程準備すればいいのか・・誰も全く想像がつきません。
40-50名の来客を想定し、イスを出し食事の準備をしていました。
結局は、すごく席や食事が余った訳ではなく、良い感じで満たされました。
その時、みんなで「必要な分だけを準備して下さった!」と感謝な思いに満たされていました。
今、もう一度この時の写真を見ながら、ふと思ったのは。
本当に「必要な分だけを準備して下さった」のだろうか・・・? この来てくれた人数は主の御心、主が願っておられた数だったのだろうか・・・
そんな思いが起こり、「油のつぼ」の話を思い出しました。
未亡人となった女の人はエリシャに助けを求めます。エリシャはこの女の人に、「外に出て行って、隣の人みなから、出来るだけ沢山の器を借りて来なさい。」と言いました。
女の人が集めた分だけ、油が途切れることなく器を一杯にしたのです。
そして子どもが「もう器はありません」と言うと、油は止まったのです。
という聖書の話を思い出しました。
修了式で40-50名の準備をし「必要な分だけを準備して下さった!」と感じたのは、間違えては居ないと思います。
全く想像も付かない人数の把握です。本当に必要な分だけを満たして下さいました。
でも、今この写真を見ながら、
「準備した分だけを満たして下さる主」であるという事も、覚えておこうと思いました。
写真を見ながら、
「これからは、もっと貪欲に求める積極的な信仰を持とう!」と思いました。
「自分で、主の恵みを制限しないようにしよう」
今日は、12月27日・・数日で新しい年を迎えます。
今から祈って準備をし、来年は自分で主の恵みを制限しない一年にしたいです!
年末で、心も身体も忙しいと思いますが、年末の掃除は賛美を聞きながら!
今日も、主の中で良き一日をお過ごしください!