「自分のパンを裂く」とは【箴言22:9】

2022年

善意の人は祝福を受ける。自分のパンを寄るべのない者に与えるから。

箴言22:9

寄るべのない者・・・新改訳2017では、「貧しい者」と訳されています。

善人は祝福を受ける。

その理由は、自分の案を貧しいものに与えるから。

「自分のパンを与える」と聞くとこの話を思い出します。

子どもたちの「日曜学校」の起源です。

1780年、ロバート・レイクスという人は、自分の住むロンドンには、貧しくて読み書きの出来ない子どもたちが沢山いる事に、心を痛め、行動を起こしました。

彼は数人の女性を雇い、日曜日に子どもたちの学校を始めました。

聖書を教科書として、読み書きを教え、聖書に記されている知恵の数々を教えました。

あっという間に、約100人の子どもたちが集まり、「学び」と「昼食」を提供しました。

これが「日曜学校」の起源です。

この「日曜学校」、1831年までに100万人以上の子どもたちが集まり、教育受けることが出来たそうです。

これは、1人の人が、聖書に従い、自分のパンを与えるという思いと行動が、沢山の子どもの未来を切り開いたのです。

しかも、聖書が教科書です!

 

「自分のパンを裂いて与える」という事は、どういう事でしょうか?

惜しまず、私たちに与えられているお金、時間、知識、経験、力、技術、才能・・・
それらを「裂いて」他人に与える時、
当然、自分のパンは減ってしまいます。

しかし、主はなくなったパン以上の祝福を与えて下さる方なのです。

これは、主の法則なのです。

自分が人に与え、なくなった分が、主によって補充されるのではなく、自分が人に分けた以上のものが、主によって与えらえるのです。

主は、私たちが他の人に心を配り、自分のパンを分ける事で、

キリストが私たちの内におられるという事を示す事になります。それは。私たちを通して、主が栄光を受けられる事なのです。

主よ。私の目を覚ましてください。主が心に留めておられる方に私が声を掛けれるように。
私が自分のパンを分ける事が出来ますように。

私たちが、主に栄光を帰する者となれますように。

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