しかし、このことは「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことのないもの。神は、愛する者たちに、備えてくださった。」
Ⅰコリント2:9
私たちは、何かを選ぼうとする時、悩みますよね。
どうして悩むのでしょうか?
良いものを選びたいからですよね。失敗したくないから。自分にとってプラスになるものを選びたいから。損をしたくないから。幸せな人生を歩みたいから。苦難を避けたいから。
今までも沢山の選択を日々してきました。悩んで選んだ結果、どうでしたか?
今、最高に幸せですか? 自分が思い描いていた幸せを手に入れる事が出来ましたか?
「あの時のあの選択は、本当に正解だった!」と思う事はあるかもしれません。
また一時的に、「こっちを選んで良かった!」と思ったこともあると思います。
しかし、その「正解だった選択」はずっと続くものでしょうか?
私たちは、自分の人生の結果をまだ見ていません。本当にその選択が正解だったかどうか、生きている間に見れないかもしれません。
韓国が北と南に分断されていない「朝鮮」時代、福音がまだ届いていない時代、
イギリス人のRobert J. Thomasという宣教師の話です。1866年、朝鮮初の殉教者です。
朝鮮に入国しようと模索し、結果的にはアメリカ軍艦で通訳として朝鮮に向かいました。
しかし入港するや否や、捕虜となりました。そして朝鮮軍官によって処刑されたのです。
処刑される前に近くに居る人々に「イエス!イエス!」と言い聖書を渡し、軍官が自分の首を打とうとする瞬間、手に握っていた聖書を軍官に渡してから殉教にあいました。
トーマス宣教師は、自分が思い描いたような「信仰の種まき」をする事も出来ず、亡くなったのです。福音を伝えようと、宣教師として沢山の準備をされたと思います。主から、使命も貰って宣教師として来ているはずです。
大胆に福音を語る事も出来ず、来韓して聖書を投げ渡す事しか出来なかったのです。しかもその聖書はハングルで書かれたものではなく、漢文聖書だったそうです。
私たちの目からみたら、この宣教師先生は「残念な方」ではないですか?
多くの時間と、労力、犠牲を払ったのに・・・思い通りの宣教が出来ず27歳で殉教したのです。
しかし、宣教師先生が投げた聖書を、一人の小さな子どもが拾い、禁書とされているこの本が気になりながらも持っている事が怖くて、知り合いの官吏に渡しました。官吏は紙が貴重な時代、その紙を壁紙として部屋中に貼ったのです。
小さかった少年は成長し、やがてその部屋を買い取り旅館を経営します。すると部屋に泊まったお客さんたちは、自然と壁に貼られた聖句を目にし、聖霊の働きによって、自生的なクリスチャンたちが生まれたそうです。
そして歳月が過ぎ、アメリカの宣教師が福音を伝える為、朝鮮に来、その旅館に泊まるのです。壁一面に貼られた聖句に驚き、旅館の経営者(聖書を拾った少年)を呼び経緯を聞きます。
経営者は主の摂理を悟り、クリスチャンへと変えられ、その旅館は教会に変わったのです。朝鮮で初の教会誕生です。トーマス宣教師が殉教してから27年の歳月がたっていました。
それだけではなく、トーマス宣教師を処刑した軍官は、「死に際まで、渡そうとした本は何だったのだろうか」と気になり、仲間に知られないようにこっそり聖書を持ち帰りました。
誰が、この様な展開を想像できたでしょうか?
このトーマス宣教師は、人間の目で見たら「残念な方」ですが、主の目には「大きな実を結んだ宣教師」なのです。
私たちの人生は短く、主の歴史からみたら、ほんの一瞬しか存在できない小さな者なのです。
私たちが、人生の結末を見る事はできない可能性の方が大きいのです。
アルフレッド・ノーベルさんが発明した「ダイナマイト」は有名な話です。
父親の小さな工場で爆発事故が起こり、末弟が亡くなったそうです。そのショックで父親も続けて他界。
ノーベルは他の兄弟と共に、爆薬を安全なものにしようと研究し、「ダイナマイト」を発明したのです。
彼の死後、ノーベル財団が設立されます。ノーベルは、自分の発明品が戦争に使われるという〝負い目〟を持っていたので「ノーベル平和賞」を遺言に残したという話と、
「永遠に戦争が起きないようにするために、驚異的な抑止力を持った物質か機械を発明したい」という思いでダイナマイトを発明した。という話があります。
どちらにしろ、これを発明したことにより、ノーベルは大富豪となります。
発明した当時、人の目には、ノーベルは大富豪となった「成功者」です。
でも実際にはどうでしょうか?
ダイナマイトは、ノーベルが思惑とは裏腹に、戦争の抑止力にはなりませんでした。
コロナの時代になっても戦争が起こっています。
「自分の人生を想いのままにしようとするより、自分自身を主の意思に委ねる」・・・
これが一番賢明な選択だと思います。
主に、委ねて日々を歩んでみませんか?
まず、今日一日を主に委ねてみましょう!