3彼が、道ばたの羊の群れの囲い場に来たとき、そこにほら穴があったので、サウルは用をたすためにその中に入った。そのとき、ダビデとその部下は、そのほら穴の奥のほうにすわっていた。
4ダビデの部下はダビデに言った。「今こそ、主があなたに、『見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたのよいと思うようにせよ』と言われた、その時です。」そこでダビデは立ち上がり、サウルの上着のすそを、こっそり切り取った。
5こうして後、ダビデは、サウルの上着のすそを切り取ったことについて心を痛めた。
6彼は部下に言った。「私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。」
7ダビデはこう言って部下を説き伏せ、彼らがサウルに襲いかかるのを許さなかった。サウルは、ほら穴から出て道を歩いて行った。
第一サムエル24:3-7
イスラエルのサウル王が、イスラエル全体の中から3,000人の精鋭を引き連れ、ダビデを殺すためにダビデとその部下を探していた時の話です。
サウルは、洞窟で用をたすために中に入りました。この洞窟は、夜間に羊の群れを入れておく所でした。サウルが入った洞穴は、ダビデとその部下数人が隠れていた所でした。ダビデらその洞窟の一番奥の方にいたので、サウルにはその姿が見えませんでした。
ダビデはサウルに近づきサウルの上着の裾を切り取り、切り取られたと知らずにサウルは洞穴から出て行きます。
何度読んでもダビデの信仰って学ぶことが多いです。
サウル王にとって忠実でしかなかったしもべのダビデ。
しかし、妬みや噂によりサウルはダビデを殺そうと躍起になりました。
そんな状況の中、十分にサウルを殺せるチャンスがあったダビデ。
ダビデの部下も、今与えられている状況を、
「今こそ、主があなたに、『見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたのよいと思うようにせよ』と言われた、その時です。」と解釈しています。
多くの人は、今あるダビデの状況は、「主が下さったチャンス」だと思うのではないでしょうか?
そんな部下の助言に耳を傾けず、ダビデはサウルに近づき上着の裾だけを切り落とします。
しかも5節を読むと、サウルの上着の裾を切り取ったことにダビデは心を痛めています。
ダビデは、
「主に油注がれた方、自分の主君に対して、手を下すなど、絶対にあり得ない」と考えました。
この時のサウルは完全に神の御心から外れて歩んでいましたが、だからといって、
それが主に油を注がれて王になっている人を
殺してもよいという理由にはならないという考えです。
なぜなら、イスラエルの王としてサウルを立て、油を注がれたのは主ご自身であられるからです。
従って、サウルに手を下すことは、
サウルを王として立てられた主に背くことになるとの判断です。
サウルをさばくのは神ご自身であって、自分がすべきことではないという考えです。
たとえ上着の裾を切り取るという行為であっても許されることではないと
ダビデは心を痛めたのです。
もし私がダビデなら、誠心誠意サウルに仕え、高慢になることもなく
仕事の成果も飛び抜けて果たしていました。
サウルにとってダビデはプラスにしかならない存在だったはず。
「裏切られた」「サウルは可笑しくなった」とサウルから心が離れると思います。
しかも、世論もサウルではなくダビデに好意が向いています。
ダビデの部下が言う通り、
「主は、サウルをダビデの手に渡した。今がダビデの思う通りにする時」と
解釈したくなります。 いえ、してしまうと思います。
ダビデの目は「人間的な常識的なフィルター」を通した目では無かったのです。
誰もが容易くしてしまう判断をせず、
反対に部下に「油注がれた方に手を下してはいけない」と諭しています。
結果的に、ダビデの判断と対応が、サウルの心を動かし、涙を流させ
もう一度、サウルから信頼を得ます。
それだけでなく、無駄な死人もでなくてすみました。
何よりもまず、ダビデの主への忠誠心が、サウルを守りました。
サウルが大きな罪を犯さずに済んだのです。
ダビデは戦わずして、自分を守り、部下たちを守り、敵の心さえ変えたのです。
詩編57編には、ダビデがサウルからのがれて洞窟にいた時のダビデの歌があります。
1 神よ。私をあわれんでください。私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます。
2 私はいと高き方、神に呼ばわります。私のために、すべてを成し遂げてくださる神に。
3 神は、天からの送りで、私を救われます。神は私を踏みつける者どもを、責めておられます。セラ 神は恵みとまことを送られるのです。
4 私は、獅子の中にいます。私は、人の子らをむさぼり食う者の中で横になっています。彼らの歯は、槍と矢、彼らの舌は鋭い剣です。
5 神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。
6 彼らは私の足をねらって網を仕掛けました。私のたましいは、うなだれています。彼らは私の前に穴を掘りました。そして自分で、その中に落ちました。セラ
7 神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。
8 私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ。目をさませ。私は暁を呼びさましたい。
9 主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。
10 あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
11 神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。
詩編57編を読むと
少しも安らぎなど感じることができない緊張した状況にあったことが分かります。
しかしそのような中でもダビデは、神に信頼しました。
7節でダビデは、「神よ 私の心は揺るぎません。私の心は揺るぎません。私は歌いほめ歌います。」と告白しています。
主がその危険な状況から救い出してくださると確信して、
主に感謝し、主にほめ歌を歌っています。
私たちの人生にもダビデ程ではなくても同じような状況に置かれることがあります。
自分に対して敵対心を持ち向かってくる相手。
恩を仇で返すような人がいるかもしれません。
自分で復讐したくなることがあると思います。
しかし自分で復讐してはいけないのです。神の怒りにゆだねなさい(ローマ12:19)と
あるように、人を裁くのは人間ではなく神様だけなのです。
ダビデは真の意味で「神のしもべ」でした。
どんな時にも神様を信頼し、御心通りに歩もうと努めました。
このように窮地に立たされていても、神への感謝と賛美を口にしています。
聖書にダビデの心情(詩編57編)が記され残されているという事は、
私たちへのメッセージなのです。
人間の目には、最大のピンチであり、孤独で怖さの中にあったとしても
神様への感謝と賛美を忘れてはいけないという事。
日々、神様へ感謝と賛美をしましょう!!