今、私にある困難を感謝しよう!【Ⅱコリント4:17-18】

2025年

今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

Ⅱコリント4:17-18

私はエステル記が好きです。

この書を読むと、数えきれないほどの

「偶然」と思える出来事に出会います。

しかし、それらは決して「偶然」ではなく、

確かに「主の摂理」が働いているのだと強く感じるのです。

例えば――

  • 王妃ワシュティが宴で王の命に背かなかったら ➡ 王妃の座は空かず、エステルは王妃になれなかった。

  • エステルが孤児でなかったら ➡ モルデカイに養われることもなく、王宮へ導かれることもなかった。

  • エステルが非常に美しくなかったら ➡ 王の目に留まらず、王妃にはなれなかった。

  • モルデカイが城門で王の侍従の陰謀を聞かなかったら ➡ 王の命が奪われ、ユダヤ人を守る人がいなくなった。

  • 王が夜眠れなかった時に、ちょうどモルデカイの功績が記録された箇所を読ませなかったら ➡ モルデカイは用いられず、ハマンの陰謀が実現していたかもしれない。

  • ハマンがプル(くじ)で日を遅らせなかったら ➡ ユダヤ人に備える時間がなく、虐殺されていたかもしれない。

  • エステルが3日間の断食を呼びかけなかったら ➡ 民の祈りがなく、主の介入もなかったかもしれない。

  • エステルがすぐに願いを言わず、宴に招かなかったら ➡ 王の好意も高まらず、流れが変わらなかった。

  • ハマンがモルデカイに激しく憤らなかったら ➡ 処刑の柱も立たず、自分自身の墓穴を掘ることもなかった。

  • 王がエステルの訴えに心を動かされなかったら ➡ ユダヤ人を守る新しい勅令は出されなかった。

…このように、「もし…でなかったら、

ユダヤ人は滅びていたかもしれない」という出来事が

数えきれないほど登場します。

特に私が一番心に残ったのは…

「エステルが孤児にならなかったら…」という出来事です。

聖書にはエステルの両親が

どうして亡くなったかは記されていません。

理由は分からなくても、

若いエステルが両親を失ったことは、

彼女にとって人生最大の苦難であり、

悲しみのどん底であったに違いありません。

きっと、何度も一人で涙を流したことでしょう。

けれども、主はその悲しみすらも用いられました。

エステルが孤児となったからこそ、

モルデカイの養女となり、

やがて王妃としてユダヤ民族を救う器となったのです。

エステル記を通して、主の摂理を強く感じます。

主はご自身の「時間軸」をお持ちであり、

私たちはその御手の中で生かされています。

私たちの目には「偶然」としか見えない出来事も、

すべては繋がりを持ち、

主の御手の時間軸の中に位置づけられているのです。

だからこそ!!

私たちが今経験している苦難や悲しみ、

絶望や苦しみも、決して無意味ではないという事です!!

むしろ、それは主の壮大な計画の伏線の一部…。

私たちは確かに、主の御手の中で生かされてるからです。

不思議なことに、

エステル記には「神」という言葉が一度も登場しません。

しかし、すべての背後で

主の御手が確かに働いていることを知ることができます。

ですから、私たちも「現在の困難」「未来への不安」を、

主の御手に委ねれば良いんだと確信できます!

今、私にある困難を感謝しよう!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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