主のもとに帰ろう【ヨハネ15:5】

2025年

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

ヨハネ15:5

数日前、偶然テレビで男子バレーボールの試合を見ました。

日本代表 vs アメリカ代表 の試合。

VNLの準々決勝で、日本が勝利し。

準決勝に進出が決まったようです。

何気に見た試合…。

ふと目に留まった選手たちの行動。

得点を取った時、失点した時、

選手たちは必ず一度中央に集まり、声をかけ合っていました。

「ナイス!」「ドンマイ!」「次いこう!」

多分…、この様な声をかけてるのではないか…と思います。

ナイスなプレーをしても

失敗し失点をしたとしても。

選手たちは、余り大差のないリアクション。

誰かを責めるのでもなく、過剰に喜ぶ姿もなく。

互いに自然と励まし合い、

チーム全員が「今、ここ」に集中。

同じビジョンを持ってプレーする姿。

そんな選手の姿を見ながら

私たちクリスチャンも、このようなスタンスで

神さまとの関係を持つべきではないか…?

と思ったのです。

自分の人生にも、

バレーボールで得点を得たように「上手くいく時」と

失点をしてしまった時のような「失敗する時」があります。

選手たちは、必ず一度中央に集まり、

声をかけ合っていたように、

結果とは関係なく、

凄く短いスパンで「中央に集まる」ように、

主のもとに戻り、心を「今ある結果」に

一喜一憂するのではなく

「今、この瞬間」心を主に向ける。

嬉しい時、悲しい時、悔しい時…

何気ない日常の中で、

何度も主のもとに立ち返り、主を見上げる。

主とのコミュニケーションをとる。

選手たちが、中央に集まり円陣を取るのは、

チームとして存在し、

同じ思いを持ち戦うという事を認識すると思います。

そこには、自分が人の目を引くようなプレーをしよう!

というような思いはないはず…。

私たちも一日に何度も、主と円陣を組み、

自分だけの判断のプレー(選択)で進めるのではなく、

神の子として存在する。

神の子として選択する。

という原点の思いを思い出すべき。

そんな事を思いながら試合を見ていました。

そしてこんな事を思いました。

私たちは、問題が生じた時、

急に「主よ!助けて下さい‼」と叫びます。

それは、

バレーボールでいうならば

普段は無言で勝手に過ごし、

チームメイトが失点した時だけ、

「どうしたんだ」と声をかけるようなもの…💦

これでは、多分、良いチームとして成長出来ない気がします。

私たちの信仰も、

普段は無言で勝手に過ごし、困った時だけ

主に声をかけているのであれば、

それは主と良い関係ではない…💦

何もない平時な時から

「主よ、今日も共に居て下さり、ありがとうございます」という

会話が必要…

大切なのは、常に主と心を合わせて歩むこと…。

私ははじめてブログを書いたのは、21年の6月。

2人の子どもに信仰を継承したいと思い始めました。

書くごとに「あ…これを書きたいな…」という思いが湧き出てきて

いつの間にか毎日書くようになりました。

無理をして毎日UPしていた訳ではなく

「あ…!これ書きたいな~」という思いが湧き出ていたのです。

「今日は、書くことがないな…」と感じた日は殆どなく

一日にいくつも、これも書いておきたい。あれも…と思う事もありました。

ただ、1つの文を書くのに時間はかなりかかります。

今年の6月に忙しさがピークとなり

夜勤明けで、学校の用事でそのまま出向き、

帰るのが、夜中0時を回る事が何度かありました。

40時間程、寝ずに過ごしているのでフラフラ。

疲れは日に日に溜まるばかり。

すっかり日々の生活のペースが崩れていました。

何か大きな試練があった訳ではなく(なかった訳でもない)

忙しすぎたのです。

次第に、今までは移動中聞いていた賛美は、

Zoom会議に変わり…。

常に眠たい状態…

そして今思う事は

何か大きな試練に見舞われ、信仰を離れることがあるかもしれない。

でも私のように

忙しさに惑わされ、段々と主との距離が出来ていく事もある…。

目の前にあるしないといけない事。

それは本当にしないといけないんだろうか。

しないといけないと、勝手に思い込んでるんじゃないんだろうか。

6月からブログをかけなくなり、

今まで、あっという間でした。

何度か書こうとしましたが、

全く今までのような気付きがなく、

頭の中は真っ白でした。

何一つ書きたい!という思いが起きず…

かと言って、

主を忘れた訳ではありません。

日に何度も祈り、賛美をします。

しかしこのまま、置かれた状況に流されては

私はやがて信仰がなくなるかもしれない。

徐々に徐々に…です。

日々、老化していってると気が付かないのと同じ。

ある日突然「あれ?」と肌の調子や体調に変化を感じるように

信仰も、ある日突然、違和感を感じるのかもしれません。

そんな事を考えていたら

長男の言葉を思い出しました。

長男が中学生だった時、

「僕は誰よりも弱い人間。だから誰よりも神さまと近くで過ごしたい。」

「だから僕は牧師になりたい…」と言いました。

私も、もう一度やり直そう…

一日に何度も主と円陣を組むように

主のもとに帰ろう。

誰よりも弱い人間だから。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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