試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は、神に認められた者となり、約束された命の冠を受けるからです。
ヤコブ1:12
病院で働きながら、嫌だなと思う言葉がいくつかあります。
その中の1つ
「今は、耐えるしかない…」
薬が効かない人がいます。(多分摂取頻度が高い為)
耐えるしかないのです。
私たちも自分の人生で「耐えるしかない時」があります。
どうする事も出来ず、何も出来ない時。
ただ耐えるしかないのです。
耐えるという選択は、決して簡単ではありません💦
痛みや苦しみの只中で
「これ以上、どうすれば…」と立ち尽くす時、
「いつまでこの状態が続くのだろう…」と
誰もが経験したことがある思い…
一番つらいのは、
「もう耐えるしかない」と決心した時だと思います。
それまで抱えてきた苦労が思い出され、一層重くのしかかり、
自分の無力さを痛感し、
この先も耐え続けなければならないという現実から、
目をそらしたくなる…💦
でも、クリスチャンである私たちは、
その決心をする時…
どこかで主を想うのです…。
もう、自分には何も出来ない。
主に介入してもらうしか方法がない…。
今までのこの痛みを「意味のあるものにしたい」という願いもあります。
主を知らない人が
「耐えるしかない」と決めた時、
それは孤独の時間の始まりになると思います。
しかし、クリスチャンにとっては、
やっと自分の手でグッとしっかり握りしめていた
問題を手放す瞬間。
主に委ねる時間が始まるのです。
それは「諦め」ではなく「委ねる」が始まるのです。
主はこの瞬間を待っておられるように思います。
自分で何とか解決しようと悪戦苦闘している時、
私たちは主を自分の思考から外してしまっているのです。
しかし「もう。どうする事も出来ない…」と悟った瞬間、
主が一番喜ばれているのではないか…?と思うのです。
…ゲッセマネの園で、
十字架を前にして祈ったイエスさまの姿。
「この杯を取り除けてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに。」
あの従順な祈り、
イエスさまの、苦しみを抱えながらも、
父なる神にすべてを委ねた姿。
私たちが、何もできずにただ涙をこらえて、
それでも「信じます」と小さくつぶやくその時、
主は、どんな時よりも深く…
私たちを見つめておられると思います。
やっと私たちが自分の手から問題を手放す瞬間。
手放す前までは、
主は待たれているのです。
私たちが、完全に委ねるのを。
もし今、「ただ耐えるしかない」
「もう、どうする事もできない…」と感じているのなら、
それは主が私を見つめ、
主が働き始める事が出来る瞬間だと思います。
今日も、私は自分の問題を手放そう…
主に委ねよう…。
今日も主を信じよう‼
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)