困難の中で気付いたこと⑥【ピリピ4:6】

2025年

も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

ピリピ4:6

私は今、困難の中にいます。

今まで体験したことがない種類の困難…。

この困難の時間が長く続いています。

その中で気付かされた事が多くあります。

1年以上続く困難。

もちろん解決を願いお祈りもしています。

最近、気付かされた事は、

私たちは困難に見舞われると、

心も体も思いも…全てが問題に集中します。

クリスチャンである私たち。

問題が大きければ大きい程、

祈りは「問題解決・解放」に集中します。

状況が少し良くなれば、

私の心は希望を感じ主に感謝を捧げるのです。

そして、状況がまた悪くなると、

気分も落ち込み、失望を感じるのです。

主への感謝や信仰は、上がったり下がったり。

問題の状況によって変動するのです。

自分の信仰が、問題の状況に左右されている事に

気が付き…

何かが変だと思ったのです。

私たちは何かと問題に見舞われます。

「問題を解決したい」「病の癒しを得たい」「心の癒し」

人生のあらゆる問題に集中する時間を過ごすことがあります。

1つの問題に大きく心が奪われると、

祈りはその問題に集中します。

そしてその問題の状況に信仰は左右されるのです。

という事は、

「自分の問題に関する主」しか見えなくなるのです。

自分発信も議題だけの主。

主が発信されている恵みや問い、語りかけなど

気が付かなくなるのです。

私の最大の関心事は「問題解決」だけだから。

問題解決をして下さる主が必要なのです。

今、違った議題は必要ないのです。

それを受け入れる余裕がないのです。

という事は、

私は、自分が集中する議題だけの主を求めている。

主は、私の議題だけに働かれる主ではない。

しかし、

私は問題解決以外の主を、見ようとはしないのです。

つまり、

私が主を縮小させてしまっているのです。

私にとって「問題解決」だけを限定し捉えてしまう。

問題の状況が悪くなると、主の存在自体を否定するような

考えが起こって来る…。

最終的に、主に対する思いや理解が狭まるのです。

主は問題を通して、解決だけが大切なのではなく

問題以上に私に語ろうと、教えようとしている事は

多くあるはず。

私の問題を解決するために十字架に架かられたのではない…。

どうしたらいいんだろう…

ちょっと自分の問題から離れ、原点に戻ってみよう…

祈りの基本は…

「すべての事に感謝する」

問題があること、病になった事を感謝するというのではなく、

問題があろうとなかろうと、

どのような状況の中でも、主は働かれているという事を感謝。

問題解決に集中すると、感謝を忘れる…💦

「御心が天で行われるように、地でも行われますように」という祈り。

主の御心に私たちは心を寄せるべき。

祈りは「私の願い」より「主の御心」を求める…。

それと…何だろう…。

「私の道はあなた方の道よりも高く、私の思いはあなた方の思いより高い」

主は、大きい。

私が感じるより、想像するより、遥かに大きいお方。

問題解決という一点集中で主をみるのではなく

全体像を見れるように祈る…。

かと言って、

問題解決を祈ってはいけないというのではない!

今日の御言葉にあるように

何も思い煩わず祈って良いのです。

つまり、

願いながらも、全てを主に委ね、

自分の関心事に一点集中するのではなく、

それ以外の恵みや導きにも心を開く。

主の全体的な導きや祝福に感謝する…。

気を付けよう…。

問題が解決されないと、信仰に影響を受けているというのは、

言葉を変えると「条件付きの信仰…」

また、祈っても癒されない…と感じると、

主に見放されているのではないか?

祈りが足らないのでは?と

自分を責めたり、価値がないと思ったり…

自己認識が歪んでしまう…。

心を落ち着かせ、

まず感謝の祈りから始めよう‼

今日から、また新たな思いで祈り始めよう…‼

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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