大きな祝福の裏側【ヨハネ2:5】

2025年

母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」

ヨハネ2:5

来月、PTAの総会があります。

24年度は会則を大幅に変更したり、

新入生の加入者をチェックしたり、

創立記念日も重なり、記念品の発注や、

学校行事も重なり…💦

次期役員を選んだりと、しないといけない事が本当に多い💦

作らないといけない書類が本当に山のようにあるのです。

もちろん一人では出来ないので、

得意そうな人に頼みます。

本当に感謝だなと思うのが、

「あのさ、この資料をまとめて欲しい」

「こんなリーフレットを作成して欲しい」

とお願いすると、多くの保護者は「分かった‼」と

直ぐに引き受けてくれるのです。

私がどうしてそれを必要としているのかは

分からないけれど、

「欲しいと言ってるんだから必要なんだろう!」と理解し

何も聞かずに「分かった!」「いつまで?」

「他にも助けれる事があればいつでも言って!」と言ってくれる人たち。

反対に、

「どうして?」「何に使うの?」

「そこまで必要?」と、引き受けてもらうまで時間がかかる人も居られます。

納得できないと引き受けてもらえない💦

そうなると…説明するのに時間もかかり骨が折れ、

疲れるのです💦

人々の、私に対応してしてくれる姿を見ながら

この差はなんだろう…?と思ったのです。

多分、前者は私を信用してくれている。

私が欲しいというのだから、

必要なんだろう!

自分はどうしたら役に立てるだろうか?と考えてくれているんだと思います。

後者は、

理解し、納得できないと動くのが難しい。

全てを知ろうとするのです。

例え、それが理解できない事であっても

一通りの説明を聞き

それが本当に必要かどうか、自分で判断をしたいのです。

そんな事を考えながら、

「私も誰かに何かを頼まれたら、

快く引き受ける人になりたいな…」と思うのです。

そして信仰も同じだな、と思いました。

主に対しても、快く引き受ける姿勢でいたいな…

と思いました。

主に従順するというのは、

自分の頭と心が納得できるから従うのは、

主が求めておられる従順とは、少し違うように思います。

主が言われる従順は、

納得できないけれど… 全く理解出来ないけれど

それでも主がしなさいということに、

信じ従うという事を選択するという事。

特に、自分が損をするような事柄が身に迫ると、

自然とそれは「主の御心ではない」と思ってしまう…。

今日の御言葉のように

カナの結婚式で、母は手伝いの人々に

「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」と言われました。

ぶどう酒がなくなって、瓶に水を入れるという事は

あり得ない事。

ワインの瓶に水…

悪徳業者みたいに感じるかもしれません。

しかし、マリヤは主がどういった方なのか

分かっていたのです…。

イエスさまは、私たちの頭では理解できない事を言われる方であるという事。

しかし、理解できない従順を

主は喜ばれ、

途轍もない大きな祝福が待っているということを。

私も記憶しよう…。

「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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