より一層豊かになるために【マタイ18:23-35】

2025年

このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。
清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。
しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。
それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします』と言った。
しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。
ところが、このしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ』と言った。
彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから』と言って頼んだ。
しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。
彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。
そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。
私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』
こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。
あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」

マタイ18:23-35

今日、読んだ聖書の箇所です。

「無慈悲なしもべのたとえ」

このように文字として読めば「何て酷い人なんだ」

「憐れみがない人…」と感じます。

もし、自分がこの人だったらどうだろう…と思いました。

決して返済する事が出来ない程も借金…💦

持ち物全部も売って返済するように命じられたら…

しかし主人が借金を免除してくれたのです。

九死に一生を得るような思いをしたのです。

本当に感謝を感じたと思います。

しかし、このような莫大な借金をしていたのであれば

もともと生活が苦しかったかもしれません。

借金がなくなった事は感謝だけど。

自分の財産が増え、豊かになったのではないのです。

そして思い出したのです。

自分が貸していた人からお金を返してもらおうと。

この返済があってこそ、自分は少し豊かになるのです。

もし、私に何か大きなプラスとなる利益があれば、

その一部を人に分け与える事ができたかもしれません。

しかし、この憐みのない人の立場で考えると

借金がなくなっても、実際に自分の懐がプラスになったのではないのです。

「赦された=豊かになった」わけではなく、

ようやくゼロ地点に戻れた にすぎなかった…💦

どちらかと言えば、まだマイナスのまま…。

だから、自分の懐をプラスにしたい!と思たんだと思います。

文字にしたり、客観的にみれば

この憐みのない人はひどい人だと思えると思います。

しかし、私たち人間の中には

人には厳しく、自分には甘い…

そのような思考が自分の中にも潜んでいると思います。

現に、私たちは主に罪赦され他にも拘らず、

自分に少しでも害を与える人には厳しい。

許せない人がいる。

嫌いだと思う人がいる。

受け入れたくない人がいる。

私たちは、プラスになれば、少し心に余裕ができ

周りにも目が行くかもしれません。

しかし、自分がマイナスになる事は嫌なのです。

損はしたくない…。

自分の中から減っていくという事は、

私たちには難しさがあります。

しかし、自分のモノが減る=「損」というのが私たちの考え。

しかし、

主の法則は違うのです。

私たちの考えてと全く逆です。

与える事に意味があるのです。

信仰生活とは、自分が主から頂いた恵みを

人々に分かち合う事によって、

より一層、自分自身に主の恵みが浸透する。

人々に分かち合う事によって、

私たちは、主の愛に染まっていくのです。

人々に分かち合う事によって、

主の心を知っていくのです。

人々に分かち合う事によって、

主の豊かさを知っていくのです。

…主に頂いた祝福を、隣人にも分かち合うことが

豊かになっていくという法則…。

主が私を赦して下さったように、私も隣人をゆるしたい。

主が私の愛して下さったように、私も隣人を愛したい。

主が慰めて下さったように、私も隣人を慰め励ましたい。

私はもっと…豊かになりたい…

主の愛に染まりたい!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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