11 この人が、ペテロとヨハネにつきまとっている間に、非常に驚いた人々がみないっせいに、ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た。
12 ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力と信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
13 アブラハム、イヤク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
14 そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
15 いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
16 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。使徒3:11-16
今日、読んだ聖書の箇所。
ペテロとヨハネは「美しの門」で生まれつき足のなえた人に
ペテロが「金銀は私にはない…」と言った話です。
この御業は、イエスさまが復活されて
50日後のペンテコステの日に、
聖霊が降臨された直ぐ後に起こった御業です。
足がなえた人は皆が知る人だったのです。
彼が癒され歩いている姿に驚き、人々が集まって来たのです。
その時に、ペテロたちは群衆に話しをしたのです。
「あなたたちは、ピラトが釈放すると決めたのに、
バラバの釈放を求め、イエスを十字架の死に追いやった。
しかし、イエスは死者の中から、蘇らされたのです。
私たちは、復活した主を見た証人です。」と話したのです。
この言葉に、群衆はこの50日間ほどの出来事を振り返ったと思います。
そして、今目の前で、
絶対に歩くことが不可能な人が
主の御名により歩いている…。
この状況に、群衆の心理はどうだったんだろう…
イエスさまがロバに乗って、エルサレムに入城された時、
人々は「ホザナ!」と叫び歓迎していました。
しかしその日から約5日後には
「十字架に付けろ!」と叫んでいたのです。
人々の感情の移り変わりが激しい…
何か情緒がおかしくないですか?
イエスさまがエルサレムに入城される前までは、
主を一目見ようと、日々、人々は遠くから集まっていました。
何がどうなって、感情がこの様に変化したんだろう…。
ペテロとヨハネの言葉を聞いて
群衆はこの何十日間の自分の言動を
どの様に感じたんだろう?
自分達が、神の子を十字架にかけたことを
どのように思ったんだろう。
「十字架につけろ!」と叫んでいた時は、
それが正しい事だと思ったはず。
でも、今、ペテロたちの言葉を聞いて考えると
大きな間違いだったことに気が付いたはず。
…私にも、私たちにも、このユダヤ人たちのように
取り返しがつかない‼と
自分の言動を悔む瞬間が絶対に来ると思います。
イエスさまに会った時にです。
今、私は常識的に考えて、正しいと思う事をしています。
そしてその正しいと思う事を主に訴えているのです。
「主よ。だっておかしいじゃないですか?」
「どうして私が…」
「早く〇〇して下さい‼」
「今、主が介入するしか方法はないのです‼」
自分の視点で、主に訴え続けているのです。
…多分、イエスさまに会った瞬間に…
私は自分の人生の多くの時間を
自分が考える愚かな要求をずっと主に訴えて来たんだな…と。
私は後悔すると思います。
…どうして群衆は、この短期間の間に言動が180度変わったんだろう?
ホザナ!と叫んでいた人々が
十字架につけろ!と変わったのは約5日の間…
何があったのでしょうか?
大祭司や律法学者たちは、イエスを妬みと恐れから殺そうと計画していました。
マタイ27:20には
「祭司長たちや長老たちは、群衆を説得して
バラバを釈放してもらい、
イエスを殺してもらうように仕向けた」とあります。
人々の心の変化の原因はこれだけではありません。
イエスさまに対する「期待外れ」を感じたのです。
人々は、自分たちをローマの支配から解放出来る
政治的な救世主を望んでいたのです。
しかしイエスさまは、剣や軍隊ではなく
「悔い改め」と「神の国の霊的支配」を語り続けたのどえす。
自分が思っていたメシア像と違い、失望したのです。
…私は自分自身にも「自分が望む主」と「主」は違う!と
何度も言い聞かせています(笑)
私たちは、何か問題に見舞われたとき、
「問題解決」を主に望んでしまいます。
主は、私の人生で起きる問題に関心がないわけではないと思いますが、
主は私の問題を解決するために、十字架に架かった訳ではない…。
私が罪赦され御国に入る為。
この地で完全な姿へと変えられる事を望まれているのです。
私も「問題を解決してくれない主」に失望する事があります。
「主はどうして助けてくれないんだろう…」
「主は私の事を忘れているのではないか…」
と思ってしまうのです。
今日、聖書を読みながら、
自分の心も移り変わりしやすいもの。と再確認。
主をもっと知っていきたい。
世の中の善悪や風潮、正義などの流れに流されない為にも…。
私がとんちんかんな祈りを捧げ、1人勝手に落胆しない為にも。
主ととの時間を大切にしよう…‼
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)