あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。
創世記50:20
聖書の中には、大変苦労した人生を歩んでいる人物が多くいます。
ヨブ、モーセもそうです。
そして私が一番好きなヨセフもそうです。
初めて創世記を読んだ時、ヨセフの人生が自分の人生と重なり、
凄く泣きながら聖書を読みました。
ヨセフの視点で考えると、凄く理不尽な人生です。
他でもない兄に奴隷として外国に売られ、
奴隷生活を余儀なくされたのです。
まだ17歳だったヨセフにとって、
外国へ奴隷として売られていく…。
どれほど不安と絶望を感じただろう…と思います。
13年間の奴隷生活。
その間、一生懸命働き、主人に認められつつも、
もっと理不尽な事が起こるのです。
この13年間は平穏無事な生活ではなく、
上がったり下がったりを繰り返したのです。
そして主の時が訪れ、奴隷から解放され
豊作7年。飢餓2年目に兄たちと再会したのです。
奴隷として売られてから22年…。
どうして、主はこのような人生をヨセフに与えられたんだろう?
奴隷として売られる前のヨセフは…
あまり立派な人物ではないと思います。
創世記37:2をみると、ヨセフは父親に
兄たちの悪い噂を告げています。
これは、正義感や責任感というより、
兄たちにとっては、告げ口をする嫌な弟だったと思います。
ヨセフだけ袖付きの長服が与えられています。
実用性に欠け、働かなくて良い立場を象徴したもの。
甘やかされて育っていたんだと思います。
どこか自分は特別だという思いがあったのでは?と思います。
また「凄い夢を見た!」と兄たちや父に話しています。
兄たちがどのように感じるか、人の感情に無頓着だったと思います。
そして、ヨセフは奴隷に売られてからも
父のもとに帰ることを望んでいました。
献酌官長と料理官長の夢の解き明かしをしたのは
28歳ごろ。
この時、奴隷となって10-11年程です。
「奴隷から解放されたい!」「外に出たい」「帰りたい!」という
人間として自然に生じる思いが、ヨセフの中にもありました。
しかし献酌官長はヨセフを忘れてしまい、
ヨセフの思い通りに事が運びませんでした。
そしてそれから2年後に
ファラオの夢を解き明かす機会が与えられ、
ヨセフは奴隷から解放され、一気に総理大臣になったのです。
この2年間で、
ヨセフは、自分の願いを、
主に委ねることが出来るようになったんだと思います。
現に、総理大臣となり地位が与えられたのですから
その地位を利用して、一時的であったにしても
休暇を得て実家に帰ることは出来たはずです。
しかし、ヨセフは自分から父のもとに帰ろうとしませんでした。
父親は高齢です。
人間的には一刻も早く実家に帰りたかったはず…。
しかし、ヨセフは全てを主に委ね、
主の時を待つ事ができるように変えられたのです。
ヨセフは、兄たちと再会した時、
「主は命を救う為に、あなた方より先に私を遣わされたのです」
と言いました。
ヨセフの人生に主なしでは、あり得ないセリフです。
ヨセフは自分の理不尽な人生を通して
自分には主から与えらえた大きな使命がある!
をしっかり理解していました。
それだけでなく、品性を磨かれたのです。
空気を読めないヨセフは、兄たちに
「どうか、私を売った事で心を痛めたり、
責め合ったりしないで下さい」と言ったのです。
兄たちがこれから責め合うだろうという想像を元に配慮したのです。
…主は、ヨセフにも、ヨブにも、モーセにも…他の人物にも
「こんな苦労の人生を与えて申し訳なかった…」というような
謝罪はされていません。
確かに、皆、苦労したのです。
しかし、その苦労以上に得るものが多かったのです。
主に用いられているという自覚があり、
その使命はこの上ない喜びであり、
また困難と通して完全な姿へと変えられていくという
体験をしたのです。
もし!
ヨセフが自分の人生の意味を悟る事が出来ていなかったら
不服しかない人生だと思います。
「自分の人生はどうして…」
「主は、何を思われてるんだろう…」
「将来、主に会ったら絶対に聞きたい…」
ヨセフは、
自分が主に大きく用いられた喜び。
そして内面の成熟。
そして困難な中にも共におられた主。
自分の人生に満足する事ができた…。
私は昔「天国で主に会ったら、絶対に聞きたい‼」と
思っている事がありました。
絶対に聞いてみたい!という思いは
「あの時、主は共に居て下さったのか?」
「あの時、主はどの様な思いで私をみていたのか」
「どうして、こんな人生を与えらえたのか??」
そのような不服に近い思いです。
しかし今は、
その様な思いに対して
「私はあの時、私の思いに気が付いて欲しかった」
「私は沢山、あなたに合図を送ったのに…」
「私がずっと隣にいたのに…あなたは私を見ていなかった」
と、主に言われそうな気がします。
与えられた人生に満足しよう!
無理に満足しようと思うのではなく、
心から満足したい…‼
その為にも、主をもっと知っていこう‼
主ととの時間を大切にしよう…‼
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)