私の兄弟たち。様々な試練にあうときは、いつでもこの上もない喜びと思いなさい。
あなた方が知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。
その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成熟した完全な者となります。ヤコブ1:2-4
聖書を読んでいて「え?」と思いました。
ヤコブ書の冒頭です。
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、
それをこの上もない喜びと思いなさい。」とあります。
「様々な試練にあった時」ではなく
「もし試練にあったら」でもない…。
「あった時」だったら、
試練にあうかもしれないし、あわないかもしれない。
でも「様々な試練にあう時」と書かれています。
まるで「朝起きた時」みたいだな…と思ったのです。
という事は「人は人生で試練にあうもの」なんだと思います。
試練を経験するは当たり前。
「晴れの日」もぽかぽかと暖かい日もあれば
太陽がギラギラと照り続ける晴れの日もある。
雨の日も同じ…。
それと同じで、日々色々な日が必ずある…。
その色々な日々の中には、
何かイライラする日、ちょっと悲しい日もあるし
限界まで追い詰められる困難に見舞われる日もある。
なるほど…。
だったら、私は今、
自分の限界まで追い詰められた状態…
でも今日のこの御言葉を読んだら
この状態は「主が定めた時」「過ごすべき時間」
何だと思いました。
「試練な時間」は「この上もない喜び」
この時間は「忍耐を完全に働かせる」時間。
忍耐を完全に働かせるってなんだろう…?
多分、
★途中で諦めず、最後まで信仰を持って耐える事。
我慢して時間を過ごすのではなく、
忍耐の時間で繰り広げられるプロセスを主に委ね続ける。
★主が目的を持っておられる時間だと信じ、成長する機会だと受け止める。
どうして…?と不満を言いたくなるけれど、
「これは私の信仰を深める訓練だ」と理解して耐える心を持つ
★苦しい時間の中でも礼拝を辞めない。祈りと御言葉から離れない!
主との繋がりを保ち続ける姿勢!
…私はこんな風にも考えます。
今、自分を取り巻く困難。
沢山の不満を口にしても、解決には繋がらない。
だったら、信じて見よう…。
主が言われるように、主に期待して、
私が本当に成長するのか。
本当にこの困難が主が「私が過ごす時間」として
与えられたものなのかどうか。
主ととの時間を持って、主に聞いてみよう…。
泣いて叫んで、文句をいっても何も変わらないんだから。
って思います。
世の中的には、困難・問題回避。
これが知恵ある者とされています。
しかし、主が言われる知恵とは、
困難・問題の解釈が出来る者が知恵ある者…。
知恵とは、試練を主にあって必然と受け止め、
どのように忍耐するか。
つまり「困難に耐えることを通して得られるもの=忍耐と成熟」は、
知恵ある生き方とつながっている…。
今日も主と共に耐えよう…。
祈りながら、聖を読みながら、賛美をしながら。
私はこの困難を通して「知恵」を得たい…!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)