主の知恵って何だろう…【マタイ22:1-5】

2025年

イエスはもう一度たとえをもって彼らに話された。
「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。
王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。
それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」』
ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、

マタイ22:1-5

マタイ22章にある例え話。

王様が王子の披露宴に、お客を招待した話。

予め招待していたのに、披露宴に来なかったのです。

そしてしもべを遣わして誘いに行きました。

しかし、人々は気にも留めず、

畑へ行ったり、商売をしたり。という話。

どうして王様の招待を受けなかったんだろう…。

続きの6節を見ると

「そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった」とあります。

もしかしたら、人々は王様に対して軽くみていたのかもしれない。

少なくとも、

自分の畑仕事や商売と、王子の披露宴を

頭の中で天秤にかけたと思います。

そして「畑に行く」ことを選択したのです。

多分「今日、しないといけない事がある!」

「今日、お客さんと約束をしている!」

「披露宴に行く余裕がない」「仕事が重要」と思ったのです。

この例え話は「天の御国」の話です。

私たちも、目の前の出来事、

今日しないといけない仕事

経済的に余裕のない生活

自分を取り囲む問題

…色々なものに気を取られています。

だから

「主よ。今は無理です…今日は一日予定がびっしり…」

「今は、礼拝をする気になれません…だって問題が多すぎて」

「もう少し余裕ができたらいいんだけど…」

という自分なりの判断で、

私は、主を後回しにしてしまう事があります。

「後回しにしたら…ダメだよね…」と思いつつ

「でも、本当に忙しい…」

「これ、今日中にしないといけないの!」

と追い打ちをかけるように正当化するのです。

…でも本来、この例え話は、

私たちに何を選択する事を教えているのでしょうか。

自分の頭で主を天秤にかけない…!

自分の判断に頼らない。

私たちは目の前の事に気が取られる。

目の前の状況より、

本当は人々は祝宴の座にいくべきだった。

これって凄く難しい問題です。

…本当に良いもの。まず大切にしないといけないもの。

を選ぶためには「知恵」が必要なんだと思います。

目先の状況に心を奪われず、

まず主を選択する知恵。

また、目の前にある問題に対して

主の視点に思いを寄せれる知恵。

「主の知恵」とは、

さまざまな出来事に含まれたメッセージを深く理解し、

自分自身の人生という物語の中で、

それらが、どのような意味を持つのかを解釈する力。

同じ出来事でも、人によって受け止め方は異なり、

主の知恵を持つ人は、表面的な現象に惑わされず、

その奥に潜む意味や教訓を

汲み取ることができるんだと思います。

私たちは、忙しい日々に追われ、

自分の心や主と向き合うことを忘れがち。

しかし、静かな祈りの時間の中で、

自分の経験、状況を振り返り、

感情を深く掘り下げ、

そして主の視点で考えることによって、

私たちは少しずつ知恵を得ることが出来るように思います。

また、自分の人生の意味は、

付与するのではなく、発見すること!

自分であれこれと、人生に意味を見出すのではなく、

発見する。

つまり、主の視点に立ち、

主が持たれている人生の意味を見つけること…。

今日も、主の知恵を求めよう…!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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