困難の中で気付いたこと④【申命記31:8】

2025年

主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。

申命記31:8

仕事の帰り道、

小さな男の子とお父さんを見かけました。

男の子は身体に比べて大きく感じるヘルメットをかぶり、

お父さんが後ろを支えての自転車の練習。

私がその姿を見た時、

丁度、お父さんが自転車から手を放す瞬間でした。

その時のお父さんの表情が、目に入ったのです。

何とも言えない表情に考えさせられました。

私たち大人は、想像出来ます。

自転車の支えていた手を離したら、

しばらくは一人で乗れるかもしれない。

でも急にハンドルがグラグラとして、倒れる可能性もあるし、

いつか、後ろに居てると思っていたお父さんがいない事に

気が付いて、急に不安に気を取られ、こける可能性。

万一、うまく乗れたとしても止まる時にこける可能性。

親が手を離す事によって、ほぼ結果的にこけてしまうのです。

それでも、親は手を離すのです。

こけてしまうだろうけれど、これを乗り越えて欲しい。

何度もこけて痛い思いをしてでも、乗れるようになって欲しい。

1人で乗れるようになったら、楽しいぞ!

1人で乗れるようになったら、色々な所に行けるぞ!

練習して「出来た!」という体験をさせてあげたい。

痛い思いをして泣く姿を想像出来ても、

手を離すのです。

子どもの成長に期待して。

お父さんの表情をみながら、

主も同じなんだろうな…と思ったのです。

私が転んで泣くかもしれない。

身体も心も傷付くかもしれない。

痛みに苦しむかもしれない。

自分は出来ないと思い悩むかもしれない。

ずっとそばにいて助けてくれると信じていたのに、

手を離されたような状態に、悲しむかもしれない。

主も、私たちをご存知なのです。

でも…

お父さんの表情から分かった事は、

「あ…そろそろ手を放しても大丈夫だろう!」という期待。

生まれて初めて自転車に乗って直ぐに

手を離したのではない。

何度も練習を繰り返し「そろそろ大丈夫だろう!」という

判断を元に、期待を持って手を離したのです。

心配と期待。

でも、期待が大きい表情。

主は、私に期待をされているのです。

私がもっと、成長することに。

私がもっと、この世から解放され、自由になれるように。

私がもっと、主を知っていく為に。

主は、私を心配しながらも期待されているんだ。

お父さんが子どもから手を放しても、

片時も逃さず、子どもを見つめ、

どれほど一人で乗れたのか、どれ位安定していたのか

子どもの成長を確認しているように。

主も、私から少し離れた所で

私をずっとご覧になられているのです。

…あなたは、

どのタイミングで主私を知っていくんだろう。

この隠れた私の計画を気付くだろうか?

私の祝福に気付き、喜ぶだろうか?

主は、今、私に期待されているのです。

私は、上手く進めず心や体が痛みを経験したとしても

前進するのを辞めてはいけない…。

手を離したお父さんに怒り、

自転車の練習を辞めたら

ずっと自転車に乗る事はできなくなる。

私も、痛みを感じても主に反発し

不信仰や信仰を離れては、元も子もない…。

自転車の後ろで手を離すお父さんの姿に、

主のまなざしを感じました。

主は、私に期待をされている。

痛みを感じる事になったとしても、

その先にある「自由」と「成長」を

与えたいと思われているんだ…

私は、今日も主を信じよう!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

タイトルとURLをコピーしました