あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。
申命記8:2-3
あるクリスチャンの友達が
「どうして主を信じても問題が生じるんだろう?」
「主は私たちの幸せを願ってないの?」
「私たちが苦しむ姿をどの様にみられてるんだろう?」
「どうして助けてくれないのだろう?」
と聞かれました。
本当に…誰もが一度は…
いえ、何度も考えたことがあるテーマだと思います。
私も信仰を持ち始めた頃、
この友達と同じような事を考えていました。
「どうして主は私たちの問題をそのままにされるんだろう?
信仰があってもなくても、同じように問題が生じ
悩み苦しめられる。
もし、主を信じて問題が生じない人生となれば
もっと主を信じる人が増えるのに。
主は目に見えない方。信じにくいリスクがあるのだから
せめて、人生の問題から解放してくれたら
人々はもっと簡単に主のもとに帰る事ができるのに…」
そして、今、私が思うことは、
主を信じても、問題が無くならないと言うのが正解◎!
もしも、主を信じ自分の人生から問題がなくなったら、
始めは感謝で過ごすかもしれません。
しかし「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ように
直ぐに私たちは、問題がない人生が当たり前になります。
つまり、主への感謝はなくなるのです。
そして、主を求めなくなります。
私たちは、愚かな者で…
問題があるから主を忘れずに求めているのです。
何もない平和な日々に、主の助けを求める必要がなくなるのです。
私たちは、毎朝、水道から綺麗な飲み水が出る事に
感動し、感謝するでしょうか?
日常では、水道から綺麗な飲み水がでるのは当たり前。
感動も感謝もありません。
しかし、災害や戦争を経験したとすれば、
蛇口をひねり、綺麗な水が出る事に感動し、感謝を思い出すのです。
また、私たちは時に体調を崩したりもします。
学校に行っても友達からいじめられたり、
喧嘩になったりと、嫌な思いをすることがあります。
職場に行っても、嫌な上司に悩まされたり、
仕事の成績が思うように伸びず、悩んだりします。
愛する人と結婚をしても、意見が合わない事もあるのです。
思うように人生を歩めず、傷付く事は多くあります。
裏切られたり、孤独になったりもします。
このような人生で起こる問題は、
私たちの「人生の荒野の時間」かもしれません。
主は、私たちの人生に何の問題もない「温室」のような
人生を与えられませんでした。
反対に「荒野の時間」を与えられたのです。
子どもが風邪を引くから、免疫が付き、他のウイルスから
自分の身体を守る力がつくのです。
友達とのトラブルを通して、相手の気持ちに気付いたり、
自分の性格を知ったりもするのです。
人生の荒野は、単なる嫌な時間を主が与えたのではなく、
私たちがより一層、成長するように、
より一層、主の近くに行く事が出来るように
与えられたんだと思います。
主は、私たちが温室で生きていくのを望まれず
私たちの成長を求め、
荒野の時間が必要だとご存知なのです。
だから「荒野の時間」は主の祝福の1つなのです。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)