主はこの世の主権者なのに…どうして?【詩篇105:17】

2025年

主はひとりの人を彼らにさきがけて送られた。ヨセフが奴隷に売られたのだ。

詩篇105:17

私は聖書の中の人物でヨセフが好きです。

ヨセフはどうして奴隷として売られたんだろう?

主が居られるなら、

兄たちがヨセフを穴に投げ入れた時、

どうして助けなかったんだろう?

丁度その時、イシュマエル人の隊商が通りかかたんだろう?

ヨセフは奴隷としてポティファルの家に売られ、

忠実に仕えて来たのに、

どうして誘惑という罠から主はヨセフを守らなかったんだろう?

主人の妻からの誘惑を拒み続け、

主の前で正しく行動したのに…

どうして冤罪で牢獄にいれられるのを、

主はそのままにされたんだろう?

献酌官は、どうしてヨセフを2年間も忘れたんだろう?

…主がこの世に存在されるのであれば…

どうしてこのような事が起こるんだろう??

主は何をされているんだろう?

主はどうして、沈黙されるんだろう?

主は、何を思われているんだろう?

私たちの人生にもヨセフほどでなくても

理不尽な事が起こります。

主がおられるなら、

どうして助けてくれないんだろう??と思う事があります。

主はこの世界で主権を持っておられるはずなのに…。

ヨセフの兄たちは、ヨセフを憎み、嫉妬し奴隷として売りました。

私たちの目にはその様に映る。

しかし主は、それを主は益として下さるのです。

悪を働いた兄たちをも救う為に、

ヨセフを用いられたのです。

主は、不思議な方法を用いられる…。

大きな悪を働いたんだから、滅びても仕方ないと私たちは思ってしまいます。

しかし、主はそのような兄たちにも計画を持たれている。

であるならば、どこかヨセフが可哀相。

兄たちを救う為に、ヨセフは苦労に苦労を重ねた人生を強いられたのだから。

しかし、創世記には何度か

「しかし、主はヨセフとともにおられ…」という御言葉があります。

私たちの目に「主の不在」「主の沈黙」と見えても、

その様に感じたとしても…

主は共におられるのです‼

ヨセフは、奴隷として13年。

エジプトの総理大臣になって9年目に兄たちと再会しています。

外国に売られ22年も経って、

主の計画が成就したのです。

そして聖書の始めの書に名前が記録される人物となったのです。

聖書を見ると創世記39章には

主が見られているヨセフ像があります。

主はヨセフと共におられたので、

「幸運な人」(39:2)
「主は彼のすることを全て成功させられた。」(39:3)
「彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。」(39:21)

聖書が紹介するヨセフは

「幸運な人」「良い時も悪い時も、主と共に居る人」

ヨセフは多分…

もう一度人生を歩めるとしても、

自分の歩んだ人生を選ぶのではないか…?と私は思います。

ヨセフは兄たちにこの様に言っています。

「あなたがたが私をここに売ったことを、悔やんだり怒ったりしないでください。神が命を救うために、あなたがたより先に私を遣わされたのです。」(45:5)

「それで今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく神です。」(45:8)

…これは自分の置かれた状況や理不尽な出来事に

人生を諦めず、最後まで主を信じ主と共に歩んだから

言える言葉だと思います。

…自分の目に、自分の人生がどう映ろうと…

私は主を信じよう!

私は、今日も主を信じ、主と共に過ごそう‼

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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