信仰にマニュアルはない…【ガラテヤ2:16】

2025年

しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。

ガラテヤ2:16

普段、あまり作っていない韓国料理を作ろうと思って

クックパッドを検索しました。

その中から選び、順序に従ったって作りました。

何て便利な時代…

食べたことが無い料理だって、ネットでみながら

作る事ができます。

示された材料を準備し、決められた順序で作れば

ある程度のクオリティーで完成させる事が出来るのです‼

信仰も…レシピがあったらいいのに…!

だったら、困難にあった時、

急いで何かを決断しないといけない時、

主の答えをいち早く知りたい時…

このような時はコレ!という、レシピがあれば…と思いませんか?

成功したい時には、この御言葉!みたいなもの。

しかし、信仰にはレシピがないのです…。

主が取り除かれたのです。

昔は、律法がレシピのような役割だったんだと思います。

これさえ守れば良い。これ以外は大丈夫。

こうすれば救われ、こうすれば祝福される。

というような律法の時代でないのです。

信仰は、律法さえ守れば良いという、表面的なものではないのです。

しかし、私たちはいつも、

主に信仰のレシピを求めてしまうのです。

これを解決するために、どうすればいいんだろう?

この会社に入りたいけれど、何をすればいい?

どう祈れば、祝福されるんだろう?

この困難に勝つ為には、どうすればいい?

今日の御言葉にあるように

「人は律法の行いによっては義と認められず、

ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる…」のです。

表面的な行い「こうすればいい」というものではなく

主はいつも、主を信じる信仰を主はみられているのです。

表面的な行いではなく、関係で成り立っているのです。

主が私たちに求めておられるのは、

単なる「正しい行い」ではなく、「主との関係の中で生きること」です。

もしレシピがあれば、私たちはそれに従って行動し、

「正しくできたか」だけを気にしればいいのです…。

しかし、主は私たちをロボットのように律法に従わせるのではなく、

愛の関係の中で導かれます。

生きた関係を持ちたいと思われているのです。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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