見て見ぬふりをする人生【ヨハネ1:5】

2025年

光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

ヨハネ1:5

今日のこの御言葉を新共同訳で読みました。

「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」

ちょっとニュアンスが違うように思います。

新改訳は「闇は光に勝てなかった」

新共同訳では「闇は光を理解しなかった」

闇が光に勝てないのは、何となく分かる…

でも新共同訳の、闇は光を理解しないと言うのは

なんだろう…

韓国語の聖書を見て見ると

「光が闇に照らされて、闇は悟る事ができなかった」

「悟る事ができない」と「理解しない」とは似てます。

どうして、闇は光を理解しなかったんだろう?

そう考えた時に、

世の中の悪は、光よりも闇を好む傾向がある…。

自分の利益や快楽の為、光を遮断する事を選んだりする。

光に照らされると、悪や罪が明らかになります。

自分の罪が明らかになるというのは、恐怖でもあります。

罪という認識が薄い時は、欲を追求し続ける事が出来ても

それが大きな罪だと認識すると、躊躇します。

ましてや、自分の罪が世に知れ渡るとなると一層です。

罪が明らかになると言うのは、私たちにとって恐怖なのです。

光を見た時、どうすれば良いのか…?

選択は2つだと思います。

自分の罪を認め、悔い改めるか、

恐怖に襲われないように、光を見なかった事にするか。

光を見なかった事にするというのが、

「理解しない」という意味だと思います。

という事は、

自分の決断で光を見なかった事、知らなかった事にしてるんだと思います。

青少年の万引きなどで、よく聞く話。

始めは、友達に誘われて凄くドキドキハラハラしながらの万引き。

数回すると、ドキドキハラハラは、ゲーム感覚に変わっていく。

そして常習化すると、何とも思わなくなるそうです。

そしてその万引きが明らかになった時に

大きく後悔するのです。

罪とはこのような姿。

始めは「これは大丈夫だろうか」と自問自答があったとしても

重ねるうちに罪の意識はなくなり、当たり前となるのです。

つまり、止まる事を知らなくなるのです。

いつ止まるのか?

その罪が明らかにされた時。

もし、自分がこの世を去り、主の前に立たされた時に

自分の罪が明らかになったら…

もう手遅れです。

…罪から離れる為には、敏感になる必要がある…

今日も、主と共に歩もう…

主に語りかけながら一日を過ごそう…!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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