求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
マタイ7:7
ある知り合いのクリスチャンのAさんがこんな事を言われました。
A「祈るのって、ある意味怖くない?」
私「どういう意味?」
A「だって一生懸命祈っても、もしきかれなかったらショック💦
信仰が無くなるかも…って心配になる」
私は、なるほど…!と思いました。
言おうとする事は分かります。
ちょっと裏切られた感だったり、
祈って何も起こらなかったら、主の存在まで疑問に感じたり。
願ってない事が答えとして与えられたら…
「あんなにも祈ったのに…」と感じてしまう。
多分、この様に思われている方は少なくないような気がします。
「祈ったのに… 主に応えてもらえなかった…」と。
…どことなく、私たちは「祈れば与えられる」と思っているのです。
「求めなさい。そうすれば与えられます」という御言葉。
欲しいものは祈れば与えられる…と感じてしまっているんだと思います。
祈りは、祈れば与えらえるというような「因果関係」ではないと思います。
この御言葉の「求めなさい」というのは
自分の願い事…というような物質的な願いというより
主との深い交わりや、主の御心を求める事を意味していると思います。
祈りが「因果関係」だとしたら、
私たちは、沢山祈らないと与えられなくなります。
しかし、私たちは祈らなくても与えられている物が沢山あります。
私は今使っているパソコンは、祈って与えられた訳ではないし、
今、着ている服も祈って与えられたモノではない…
だから、祈りは物質的な因果関係ではないのです。
「求めなさい」という意味は、
主に何度も祈ることによって、
自分の心が主の御心へと変えられていく為のプロセス。
教会では、メッセージにおいても
沢山祈ることを勧められます・
主は、一度祈れば聞いておられるし、
一度では忘れてしまうのではないのです。
毎日、沢山祈る理由は、
私たちの欲や我が強いからだと思います。
日々の祈りを通して、初めて自分が望んでいた答えが
日々の祈りを通して、少しずつ御心をしり、
日々の祈りを通して、自分の願いではなく、主の願いへと
心が変えられていくのです。
祈りを通して、自分の我から解放され、
主の御心が、私の心の王座に就くのを待たれているのです。
つまり、自分の我を手放すのに時間がかかっているんだと思います。
…だから私は沢山祈らないとダメなのです…💦
 
 
 
 
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)