求めなさい。そうすれば与えられます【マタイ7:7】

2025年

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。

マタイ7:7

ある知り合いのクリスチャンのAさんがこんな事を言われました。

A「祈るのって、ある意味怖くない?」

私「どういう意味?」

A「だって一生懸命祈っても、もしきかれなかったらショック💦

信仰が無くなるかも…って心配になる」

私は、なるほど…!と思いました。

言おうとする事は分かります。

ちょっと裏切られた感だったり、

祈って何も起こらなかったら、主の存在まで疑問に感じたり。

願ってない事が答えとして与えられたら…

「あんなにも祈ったのに…」と感じてしまう。

多分、この様に思われている方は少なくないような気がします。

「祈ったのに… 主に応えてもらえなかった…」と。

…どことなく、私たちは「祈れば与えられる」と思っているのです。

「求めなさい。そうすれば与えられます」という御言葉。

欲しいものは祈れば与えられる…と感じてしまっているんだと思います。

祈りは、祈れば与えらえるというような「因果関係」ではないと思います。

この御言葉の「求めなさい」というのは

自分の願い事…というような物質的な願いというより

主との深い交わりや、主の御心を求める事を意味していると思います。

祈りが「因果関係」だとしたら、

私たちは、沢山祈らないと与えられなくなります。

しかし、私たちは祈らなくても与えられている物が沢山あります。

私は今使っているパソコンは、祈って与えられた訳ではないし、

今、着ている服も祈って与えられたモノではない…

だから、祈りは物質的な因果関係ではないのです。

「求めなさい」という意味は、

主に何度も祈ることによって、

自分の心が主の御心へと変えられていく為のプロセス。

教会では、メッセージにおいても

沢山祈ることを勧められます・

主は、一度祈れば聞いておられるし、

一度では忘れてしまうのではないのです。

毎日、沢山祈る理由は、

私たちの欲や我が強いからだと思います。

日々の祈りを通して、初めて自分が望んでいた答えが

日々の祈りを通して、少しずつ御心をしり、

日々の祈りを通して、自分の願いではなく、主の願いへと

心が変えられていくのです。

祈りを通して、自分の我から解放され、

主の御心が、私の心の王座に就くのを待たれているのです。

つまり、自分の我を手放すのに時間がかかっているんだと思います。

…だから私は沢山祈らないとダメなのです…💦

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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